【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-2
[1] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/11(Sat) 15:41 No.63 | |
レスは50までと表示されたので新スレを立てた。
初期編成に編入されたが為に表示幕改造からも漏れてしまった。 1967年生まれにも関わらず、2328以外は2001年に廃車されて34年で幕をおろした。 2800系や5200系、1990年前後に能勢電へ行かずに廃車された2000系列を除くと、 2000系以降の車両としては短命だった部類に入る。 阪急でありがちな「新しい方からの廃車」になった。一方で2355は54年間走った。
|
[2] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/14(Tue) 16:55 No.64 | |
'73(S48)年10月のメモです。 さすがにまだ新造6年目ほどの2327、2328は8連に編成され 優等列車運用についています。 2327-2377+2315-2335-2365+2316-2336-2366 2313-2333-2363+2328-2378+2314-2334-2364 もう1編成2309+2327+2318 の3編成が8連でした。
|
[3] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/15(Wed) 21:12 No.65 | |
5M3Tの2300は高速からブレーキを掛けると回生電圧が高くなり過ぎて回生開放になり運転しにくかったとか。当時の車両関係の方から聞いた話。
|
[4] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/16(Thu) 08:58 No.66 | |
2321を先頭とする8両編成もありましたね。 2300系の8両編成はわずかの期間、わずかの編成だけでしか見られなかったはず。
2327に付いて書くと1995年の夏までは本線・千里線で以下のような編成が見られた。 2303-2353+2504-2354+2327-2308-2358 2309-2359+2310-2360+2328-2306-2356
嵐山線の2811・2815編成の撤退で各編成の前半4両ずつは嵐山線に帰って行った。 この際に、単純に後半の3両ずつを組み合わせた6両を作るのかと思ったら、2327は 2305編成の2307に差し替えられてしまった。
2307-2308-2358+2328-2306-2356 2305-2831-2377+2327-2841-2885-2378
更に後年2328-2306は2312-2332に差し替えられ、7連化時にはT車化された 2331が2332と2356の間に挟まれた。2306は最後のエコノミカル台車で2356は 京都線系では最後のアルストム台車だった。
|
[5] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/16(Thu) 09:32 No.67 | |
>>2 1年後'74(S49)年10月には2300系の8連は、2321〜2372だけになっています。>>4氏のおっしゃるものでしょう。 2327,2328は1年前に組んでいた3連と共に、 2327-2377+2315-2335-2365 2328-2378+2314-2334-2364 の5連になっています。 特に2328号は先頭になった貴重な時期ですね。
|
[6] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/18(Sat) 15:59 No.68 | |
'70(S45)年4月2日に 2328-2378+2311-2331-2361+2327-2377 の7連で急行をしています。 中ほどの3連は空気バネ台車だったのでは?
|
[7] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/18(Sat) 23:08 No.69 | |
2311x3のユニットはKS65A,B空気バネ台車を履いています。 金属バネ車と空気バネ車との連結部は自連の場合上下のズレが大きくなるので避けていたはずですが、緊急性があったのでしょうか?
|
[8] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/20(Mon) 02:33 No.70 | |
KS台車は汽車会社製でしたね。 なつかしいです。 >>7氏がおっしゃるようなズレを検証あるいは緩和するべく、 2+3+2の編成にしていたのかもしれませんね。
|
[9] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/20(Mon) 07:53 No.71 | |
この一件以前は他の2000系列や1000系列でも、金属バネ車と空気バネ車が 自動連結器で連結されたことはなかったのですか?
|
[10] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/20(Mon) 11:22 No.72 | |
2100系の8連化の時に空気バネ編成である2156-2106-2157-2107+2158-2108の2158-2108の間に車番は忘れましたが 金属バネ車を2158-2100形(Mc)+2150形(Tc)-2108と割り込ませている編成がありました。 これは明らかに自連部でもズレを避けるための処置だと思います。 2021系でもあったような気がします。
|
[11] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/20(Mon) 17:28 No.73 | |
>>10 2156-2106-2157-2107+2158-2109-2160-2108 2160号は2156Fが7連時代には3000系に組み込まれていて 8連化で復帰?しています。 2081-2031-2082-2040+2090-2032+2083-2033 2084-2034-2085-2041+2091-2035+2086-2036 この2編成は梅田側6連となって運用されることもありました。
|
[12] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/21(Tue) 15:37 No.74 | |
'70(S45)年2月7日(土)に >>11の2156Fの8連がOH終え営業開始していますが、 検査を受けたのは7両で2160号は「そのまま」(検査せず) とメモしています。
|
[13] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/25(Sat) 13:18 No.75 | |
'70当時のメモを見返しますと、前年の宝塚線昇圧前後の頻繁な 編成替えで、定期検査が編成中でずれるケースが見られます。 たとえば、同年3.26木には、 1110〜1029の8連のうち1140-1190の2両がOH、 同年4.5日には、 1112〜1037の7連のうち1142-1032-1033の3両がOH など、旧編成からの影響が残っているのですね。
|
[14] | 投稿者:板主 投稿日:2015/07/26(Sun) 17:08 No.76 | |
[15] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/27(Mon) 09:55 No.77 | |
こちらは「さらに」なつかしでいきましょうか。 '703.14土には、 928-958+905-915+929-959のうち928〜915の4両OH とあります。 928と929は長く同じ編成だったはずですが、定期検査は ずれていたんですね。
|
[16] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/30(Thu) 07:03 No.78 | |
>>10>>11 ありがとうございます とても興味深い編成の組み方です
>>15 >'703.14土 万博の開会式の日・・・ 華やかな日々の始まりですね (一般の入場は15日<日>から、同じ日に近鉄難波線も開業)
2800系でも全般検査や重要部検査の年月が同一編成内で 違っているものを見た覚えがあるのですが、これも皆さんが 言われている範疇に入りますかね?
|
[17] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/07/30(Thu) 18:42 No.79 | |
翌3.15日から神宝線編成による「エキスポ準急」が、 翌々日3.16月からは「エキスポ直通」が運転開始されます。
当初宝塚からは2本設定され、1本目は7連、2本目は梅6化された6連が担当しました。 しかし、直通の利用客が少なく、6.15月からダイヤが変更となり、 どうやら梅6の1本に減便されたようです。
|
[18] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/02(Sun) 06:49 No.80 | |
NHKラジオの「きょうは何の日」で、 '70(S45)年に初めて歩行者天国ができた(東京) と伝えていました。 そういえば、今年と同じ曜日回りだったんですね。 盛況の万博輸送もほとんど冷房車などなかったですね。
|
[19] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/02(Sun) 09:47 No.81 | |
万博閉幕までに建造されていた冷房車は5200Fのみ? 5201Fや5202Fの登場年月を知らないもので。
|
[20] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/02(Sun) 18:06 No.82 | |
5200Fは1970年6月、5201、5202Fは12月竣工ですから3本は万博閉幕までに建造されています。5202Fは5連での竣工でした。
5200Fを初めて十三駅で見て、梅田折り返しを待ったことを思い出しました(宝塚線です)。側窓上中央に楕円形の「冷房車」と書いたステッカーが貼ってありました。
|
[21] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/03(Mon) 08:25 No.83 | |
どうも。 万博は9月13日に閉幕しましたので、万博開催中に走っていた冷房車は 5200Fだけのようですね。
|
[22] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/03(Mon) 11:25 No.84 | |
私のメモでは、5200Fは'70.8.1土に6連で急行、とあります。 これは神戸線なのか宝塚線なのか不詳です。
次いで、'70.8.11火には、5200-5240+5230-5700-5740-5710-5250の7連となり宝塚線で営業開始しています。 もちろん宝塚線初の冷房車です。最も暑い時期に宝塚線を走ったことになりますね。 したがって、この時期神戸線には冷房車はなくなっていたのでしょうか?
この後、9.13まで宝塚線使用、9.19には神戸線にもどって高特をしています。
|
[23] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/04(Tue) 15:03 No.85 | |
1編成だけということは十三経由でのエキスポ運用には入っていないかも
|
[24] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/04(Tue) 18:24 No.86 | |
ですね。 エキスポ直通やエキスポ準急に運用されたらまさに注目されたはずですが、 そのような記録(メモ)はありません。
|
[25] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/05(Wed) 22:36 No.87 | |
[26] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/06(Thu) 06:02 No.88 | |
万国博と阪急、北急、市交は密接な関係 国鉄も万博輸送はあったけど、少々離れたところを走っているので、上記3社局ほど密だとは思わない これを機に新幹線の16両編成が始まったり、閉幕後の10月に新快速が登場したりするのだけど
|
[27] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/06(Thu) 17:01 No.89 | |
宝塚線からの「エキ直」は既出ですが、 梅6化した2150F 2081Fの担当が多かったようです。 前半は1本目が7連、2本目が6連でしたが、1本に減便された 6月15日以降は梅6が多く、たまに7連も担当したようです。
5200Fの宝塚線での運用ですが、当初は急行が多く、8月下旬頃からは各停運用が多かったようです。
|
[28] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/06(Thu) 20:18 No.90 | |
[29] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/07(Fri) 06:27 No.91 | |
基本編成は8連ですが、エキスポ直通や池田以西に乗り入れる場合は、梅田側6連で運行しました。 私が略称でメモっていました。
|
[30] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/09(Sun) 08:26 No.92 | |
'70万博の後半、真夏のあの混雑時に冷房車なしだったわけですね。 今では到底考えられません。 1010.1100系や2000.2100系の埋込ファンは効き目がないな、 と実感していました。
当時は最高気温も33℃が珍しかった気がしますが、 昨今のように38℃超えが多発していれば・・。
当然京都線車両も完全非冷房だったのでしょうね。
|
[31] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/09(Sun) 11:44 No.93 | |
5200系以外は非冷房なので、当然全車非冷房ですね。1971年の5100で冷房車登場となります。
確かに当時も暑かったが、今みたいな気持ち悪い暑さではなかったような。。まだ若かったからな?(当時は高校生)
|
[32] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/10(Mon) 06:58 No.94 | |
阪急5200系や有料特急などを除くと、当時の関西で走っていた冷房車は京阪2400系くらいですよね。 国鉄が103系冷房車の製造を始めたのは1970年でしたが、配置は山手線だったかと思います。
大阪市営に関しては、地下鉄ということもあって本格的な冷房化は90年代以降ということになりますね。
|
[33] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/10(Mon) 15:37 No.95 | |
[34] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/11(Tue) 10:48 No.96 | |
ファンデリアは、あまり効果なかったですからね。
920・800系の座席撤去されていたところの窓で、風に当たって いた方がまだ良かったかなと思います。
|
[35] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/11(Tue) 22:28 No.97 | |
1010,1100系などのファンデリア送風は雨天時などで窓が全閉の時は空気の逃げ場が無く、風が余り入ってこなかった。2000系で小天井に排気口が設置され改善された。
|
[36] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/12(Wed) 15:03 No.98 | |
私は中間化・T化された1000系にしか乗車したことが ありませんが、扇風機があたると涼しかったものです。
|
[37] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/13(Thu) 13:30 No.99 | |
割り込みスマソ
今日、梅田・阪急百貨店の9Fで開催中の鉄道模型フェスティバルに行ってきた ただし、あまりに混雑していたのでとりあえず無料で入れる部分だけ見てきた
200系の模型が2両で7万7760円、他の模型も良い値段がするものばっかりだった 旧客や北急の車内プレートも売られていたが、これらも万単位
書籍では2300系のが2300円、600系のが2700円などで売られていた 売り切れたはずの2300系のマグネットは増刷したのか売られてました
|
[38] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/15(Sat) 01:33 No.100 | |
>>25 神戸線からの「エキ直」は、5000系の他、 当時神戸線所属の2300系6連も担当した記憶があります。
|
[39] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/16(Sun) 07:21 No.101 | |
当時の情景を思い出していますと、 最終電車は最後尾のヘッドライトを点灯して 走っていたと思います。 今もそうなんでしょうか?
|
[40] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/16(Sun) 08:36 No.102 | |
線路の横に住んでいますが、もうやってないですね 知る限り、平成になった時点ではもうやっていませんでした
|
[41] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/17(Mon) 06:22 No.103 | |
>>40 ありがとうございます。 '83(S58)3月頃まで沿線に住んでいました。
|
[42] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/18(Tue) 07:01 No.104 | |
梅田で2300系の本を購入しましたが、どの写真も素晴らしいですね。 京都線での8両編成は知っていましたが、それよりも前に神戸線で8両編成が実現しているのですね。
エキスポ直通で一時的に京都・千里線に帰って行く2371を先頭とする編成が十三駅9号線にいる写真とか 凄すぎます!!!2371絡みのことを書きますが、2321-2371が京都地下線の祝賀列車で使用されたのは 知っていますが、新幹線を仮線とする際の試運転列車でも起用されているのですね。
あと、この掲示板で2800系が西灘から搬入された話は聞いていましたが、2300系も西灘から搬入されて いますね。過去7年分のスレを遡りましたが、理由は分かりませんでした。当時は電圧が違い西宮工場も あったので神宝線車が西灘から搬入されるのは分かりますが、なぜ京都線車も西灘を使ったのでしょうか?
|
[43] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/19(Wed) 12:54 No.105 | |
'79.8.10月のメモに 2325〜2371(8)急行 とあります。 おそらく神戸線の急行だと思われますが、 万博期間中にも2300系の神戸線→京都線転属があって、 たいへん複雑でした。 車両も「かつかつ」でまかなっていた感があります。
|
[44] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/19(Wed) 17:01 No.106 | |
>>正雀新工場が完成するまでは周辺にの道路事情が良くなかったのでは? 梅田(旧)駅の1号線が完成するまでは梅田駅の旧北野線用地から搬入したこともあります。 済生会中津病院から国道176号線を輸送される旧1300系らしき車両を見た記憶があります。
|
[45] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/19(Wed) 19:42 No.107 | |
その旧梅田駅で、2号線が南側の駅ビルに入る付近は、架線高 が低かった記憶がありますが、元々ああいう構造だったので しょうか?
ドーム屋根のあった部分は、いつも明るい印象だったのに対し、 2号線は、何か暗い印象しか残っていないのですが・・・
|
[46] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/19(Wed) 22:13 No.108 | |
阪急ビルの下に1両弱入り込む形でしたから天地寸法の関係で架線高さは低かったですね。
|
[47] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/21(Fri) 19:43 No.109 | |
有り難うございます。
>>43 >車両も「かつかつ」でまかなっていた感があります。
そういう感じが資料からも伝わってきますね。 200系が万博開幕直前に廃車になっていますが、閉幕まで残していたらちょっとくらいは 京都線系に余裕が出たのかも・・・・
余談ですが、1970年と今年は日にちと曜日の関係が同じという話が上で出ましたが、 東海大相模が1970年に優勝したのも今年と同じ8/20(もちろん木曜日)だったよう ですね。しかも10-6で勝ったというところまで同じです(相手はPL学園)。
>>44 自分も写真で北野線から搬入しているのを見たことがあります。箕面有馬や北大阪電鉄 としての開業以来のすべてを見てみれば、色々な場所から搬入されているのでしょうね。 福知山線〜川西池田経由は知られている方だと思います。
|
[48] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/22(Sat) 01:45 No.110 | |
そうなんですか・・。不思議なものですね。
「かつかつ」(=ぎりぎり)を示す事例なのでしょうか、 同年8.18と8.21に2083の2連が箕面線で営業しています。 これは既出の2081Fが梅6化した残りの宝塚側の2両です。
|
[49] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/22(Sat) 14:21 No.111 | |
これも「かつかつ」からでしょうか、 同年7.4土に2323〜2358(6)が京都線で営業(この日は梅北)しているのを発見。 2日後の7.6月に京都線の急行を担当するのですが、 この時2323号はサボ(運行標識板)なしだったようです。 当時は神宝線と京都線の運行標識板受けは方式が異なり、 まだ神戸線方式の標識板受けのまま京都線で使用開始したのでしょう。 神戸線の2300系は車体側の凸型の受けの上に簡易溶接か 何かで凹型の受けを設置していたのか、標識板が上にせり あがったようなやや不恰好な姿になっていました。 当時の写真にも見られますね。
|
[50] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/24(Mon) 19:40 No.112 | |
どうも有り難うございます。
万国博覧会は当初の見通しでは3000万人の来場者を予想していました。 しかしこれが後に5000万人に修正され、最終的にはのべ6421万8770人が 来場しました。閉幕8日前の9月5日(土)には83万人を超える来場者があり、 4000~5000人の観客が終電後も会場に取り残されていますし、梅田あたり まで来ても、深夜になってその後の交通がないという人たちが曽根崎警察に 詰めかけたそうです。交通機関はどれもパンク状態だったと思われます。
標識板取り付け台ですが、2800系でも上に上がっているのがありますね。 いろは坂さんのページにある2814はそうだと思います。
|
[51] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/25(Tue) 15:55 No.113 | |
>>50 私のメモにも9.5土には83万人の入場とあります。 表記の数字が滲んで不確かだったのですが、>50氏により 確認できました。
翌9.6日午前1:30になってもまだ1万人が会場内に残っていて、 北急は終電後あびこ行1本 阪急は終電後梅田行を終電後10分毎に5本特発 とあります。おそらくこれは新聞記事等によるメモでしょう。 北急は大阪市交の絡みで特発しにくかったのかもしれませんね。
|
|