【今でも大人気1010系】阪急電鉄旧型車両スレ6【能勢電 ぼくたちの1500系】別室Part6
[1] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/06(Sun) 06:30 No.573 | |
新スレを立てました。 直近で今津線の話題が出ておりますが、ダイヤモンドクロスをリアルタイムで知る 人の数も年々減っているのでしょうね。
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[2] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/07(Mon) 10:28 No.574 | |
ダイヤモンドクロスが無くなって31年。当時10歳の人でも今は 41歳ですから、遠い昔になってしまいましたね。
最終日には今津線で814Fに乗って渡りましたが、終日雨の降る 天気ながら、多くの人が写真撮影や録音をしていたのを思い出します。
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[3] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/12(Sat) 09:47 No.576 | |
最近、91年のスタンプラリー以来25年ぶり3回目となる今津南線を利用し 今津駅に行ってきました。過去に2回しか行っていないので元々の風景が 記憶にありませんが、現在の今津駅は何か味気ないような感じもしました。
軍事目的で阪神と接続される以前は、ほぼ今の位置に阪急の駅があったの ですね。
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[4] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/12(Sat) 17:59 No.577 | |
>>3 今津駅だけでなく、今津南線は車両も味気ないですね。 ワンマンで6000系3連になってから興味が薄れました。
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[5] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/12(Sat) 19:10 No.578 | |
前スレで610系の話が出ていましたが、610系の先頭車で、何故か 雨樋が外側に露出して取り付けられていた車両が居て、能勢電 に転出後もそのままだった車両が居た記憶があります。確か664だったかと。
いわゆる阪急標準車体の車両で、雨樋が露出しているのは非常に 珍しいかと思います。
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[6] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/14(Mon) 10:46 No.579 | |
>>5 664号の変遷メモを調べてみました。
さすがに宝塚線での4〜5連時代は知りません。 6連時代は、612-662+613-663+614-664 で中間に 630形を挟まない編成だったと思います。
'73(S48)10月には今津線(伊丹線も?)で、 614-654+604-664 604は運転台撤去 この時期600形は610形編成の中間に組み込まれていて 657、658のみ先頭だったようです。 ちなみに600形は出入扉上方に円弧の「雨どい」がありましたね。 '74(S49)10月からしばらく'77(S52)10月まで 614-638-630-664 で伊丹線用だったはずです。
その後1年のブランクがあって、'79(S54)10月には 610形すべて消えています。 能勢電へ転出または廃車となったのでしょう。
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[7] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/15(Tue) 09:56 No.580 | |
610系の能勢電が能勢電で竣工した最後は1983年頃だったので、 79年以降に阪急の敷地内に留まっていた車両たちは廃車体という ことになるのですかね
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[8] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/15(Tue) 13:25 No.581 | |
610系は、昭和52年10月を最後に全車休車になっていますが、 廃車については、最初に転出した3編成が能勢電の借用扱い (昭和52年6月に譲渡)で、それ以外は、能勢電への転出時に 廃車となってます。ボロボロになって残っていた669・670・ 672の3両は、7年ほど休車が続いた事になりますね。
663のみは、運用離脱と同時に廃車解体されています。
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[9] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/15(Tue) 17:52 No.582 | |
610系の話題を繋いでいただけてうれしいですね。 このスレならでは、でしょう。
他形式よりやや甲高い今の新幹線のような警笛音 だったのを思い出します。
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[10] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/21(Mon) 10:54 No.583 | |
少年時代のメモと記憶から、610形に関するずれ例。 宝塚線6連時代は 616-636-666+615-637-665 だったような。 なぜ3連ユニットが入れ替わっているのか、 子供心に引っかかったものです。 その後、今津線へ転出しますが、 S41.11.15 に、615-636-665 宝塚線に一時復帰 とあります。 中間が636号というのが気になります。 また、S41.11.19に、 619-669+617-637-634-667 オバおえ営業 とあります。 これも637号が気になりますが、634号は元々 617のユニットに入っていた車両です。
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[11] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/23(Wed) 12:31 No.584 | |
610系は昭和40年代に入っても宝塚本線運用があったのですね。
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[12] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/25(Fri) 09:11 No.585 | |
S41.11.29から3158F、同12.1からは3160Fがそれぞれ 新造営業開始しています。 おそらくこのタイミングで610系が今津線へ転出したか、 箕面線で使用されていたのかもしれません。
一方、600系についても600F、603FはS41頃までに 宝塚線から消え、606FだけがS42にも走っています。 S42.6.1 606-656-607-657+608-658 車内灯蛍光灯化、 パンタ更新して営業開始、 同 9.5には、夜急行をしています。
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[13] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/11/30(Wed) 16:05 No.586 | |
異端車といえば、510形の565号も そうだったようですね。 実際に見ていませんが、写真や 80周年?ビデオでみたような。 加工式窓ですっきりとした容姿で 564号までとはかなり違った印象でした。
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[14] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/01(Thu) 19:56 No.587 | |
>>13 「加工式」→「下降式」でした。 加齢で目も自信なしです。
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[15] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/02(Fri) 07:48 No.588 | |
>>12 昭和42年=万博の3年前でも600系は宝塚本線運用があったのですね。 >>13 550形の565は写真で見たところ、500形と変わりませんよね? 500形の設計図を元に作られているのかも。
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[16] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/03(Sat) 09:10 No.589 | |
>>13 私が見た写真は、 「私鉄ガイドブックシリーズ5」阪急・京阪・阪神 慶応大学鉄道研究会S42,12,25刊 P.30に牧落駅の 565号の顔ととなりの564号も写っています。 夏場かして565号の「下降窓」がよく開いています。 565号と564号の形状の違いも歴然です。
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[17] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/05(Mon) 13:10 No.590 | |
>>15 565号は、500形と比べると、運転台が550形と同じく片隅式 運転台なので、運転台直後の吹寄せ部の寸法が異なるのと、 車体寸法を550形に合わせているので、500形より少し大きく なっています。
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[18] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/05(Mon) 18:40 No.591 | |
500形は今津線でも活躍したようですが、 550形は宝塚線、箕面線で終焉したはずですね。 '69(S44).8の昇圧を前に最終編成の 560+550-551-552-553 が引退しました。
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[19] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/07(Wed) 10:34 No.593 | |
ある方のツイッターで見つけた871の特急の画像
https://mobile.twitter.com/junichi20071234/status/805608716774952960 本人はどこかわからず、フォロワーさんが旧梅田駅と書いておられるが、 これは明らかに神戸駅。(後の三宮、現神戸三宮) 820-870+821-871 の4連と思われ、昭和30年代かな。
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[20] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/08(Thu) 07:41 No.594 | |
梅田側先頭車の先に外が見えているので、知らない世代が書いたのでしょう。 三宮はホームの配置は別として、今もこんな感じのままじゃないかと思うのですが。
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[21] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/08(Thu) 09:30 No.595 | |
871が神戸寄りの先頭車である事を知っていたら、旧梅田駅と いう選択肢は出てこない様な気がします。
また旧梅田駅は、屋根がもっと高くて、空間があった様に思いますね。
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[22] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/08(Thu) 11:17 No.596 | |
古き良き時代という写真ですね。 特急のサボも心なしか傾いていますね。
旧梅田駅のドームはもっと大きかったですし、 構内アナウンス嬢の声が響いていました。
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[23] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/08(Thu) 14:51 No.597 | |
100、710、旧1000系列もそうですが、 3ドア化前は窓が10枚並んでいて壮観です
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[24] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/09(Fri) 11:50 No.598 | |
>>17 ということは、565一両のために、わざわざ図面を引いたんですかね 昔は少数形式も多かったので、珍しくはないのでしょうが
車体は他の車両に比べて堅牢だったのかな
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[25] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/09(Fri) 18:46 No.599 | |
>>16 のガイドブックによると、 565号からナニワ工機製造になった とあります。 564号までは川崎造船だったのでしょうか。
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[26] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/09(Fri) 23:44 No.600 | |
550形はナニワ工機第1作の車両で全車ナニワ工機製造ですよ。 昔庄下川西側に事務所があったころ1両保存されていました。
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[27] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/12(Mon) 08:22 No.601 | |
>>26 ありがとうございます。 ナニワ工機はアルナ工機になり、その後 車両建造部門はなくなったと聞きました。
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[28] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/12(Mon) 20:23 No.602 | |
>>27 アルナ工機は分社化しアルナ車両など3社に分割されました。 ttp://alna-sharyo.co.jp/
アルナ車両は尼崎から阪急正雀工場内へ移転しLRV(リトルダンサー)や路面電車の製造は続けています。 鉄道車両はリニューアルなどの改造が主な業務ですが 阪急9000,9300の一部は日立から構体を購入して新車として完成させています。
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[29] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/13(Tue) 17:29 No.603 | |
>>28 そうなんですか。 正雀工場内に別会社があるんですね。 既出ですが、昔の正雀界隈はほのぼのとしていました。
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[30] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/15(Thu) 15:24 No.604 | |
550形とよく似た形式に京都線用の700形がありますね。 550形を心もちごつくした印象の車両でした。 中間の750形の経緯も興味深いですね。 '70(S45)年の万博開催期間には、エキスポ準急も担当、 唯一の優等運用だったと思います。
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[31] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/16(Fri) 08:03 No.605 | |
運輸省規格形の宝塚線の550形、新京阪線の700系、京阪線の1300系
700系の中間車となったのは京阪電車新京阪線300形→宝塚線の300形と重複するので1300形に →昭和31年頃からは完全中間車化して750形に(元々の750形はMc化&改番)
700系に関連する「1300」番台は2つありますね
2014年から走っている1300系は3代目なんですが、2代目とする記事が多いのは 初代の経歴を知らないからでしょうか。それとも「1300」を名乗った時間が短いから?
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[32] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/16(Fri) 08:10 No.606 | |
新京阪線300形に相当する京阪線の車両は1200形になりますね。 同車をルーツとする車両は1000系として走り続けています。 (台車も機器も入れ替わっていますが)
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[33] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/17(Sat) 09:30 No.607 | |
700系の702号はアルミサッシ化されて異彩を放っていました。 古めかしい車体に2000系以降の窓枠で違和感がありました。 その後、1100号もアルミサッシ化されましたが、こちらも 半流線型の温かみを損なう印象となり、個人的には残念でした。
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[34] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/17(Sat) 22:46 No.608 | |
>>33 旧1000系シリーズの窓枠は元々アルミサッシ。1100号車やその後の冷改車は無塗装化しただけ。 900等の旧型も更新で全部ではないがアルミサッシ化(塗装)されている。 700系のアルミサッシは縁にリブが付いた独特な形でしたね。
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[35] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/18(Sun) 08:35 No.609 | |
>>34 私が言うのは、2000系以降のような窓枠銀色のアルミサッシ という意味です。 702号、1100号は銀色がいかにも似合わなかった、という話です。 1010,1100系がアルミサッシというのは認識ありません。
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[36] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/18(Sun) 09:11 No.610 | |
1100号の正面のドアの縁取りは似合わなかったような・・・ 旧型国電のカラー塗装も一部を除いて似合わない気がしました しかもブレーキ時の鉄粉なのか汚れまくっているし
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[37] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/19(Mon) 18:42 No.611 | |
1010・1100系冷房改造車と1300系冷房改造車を比べると、元の 茶色の窓枠を残した1300系の方が、落ち着いて見えた感があり ましたね。
ところでふと気がついたのですが、1010・1100系で当初から3扉 で製造されたグループは、正面窓がHゴム押さえから変更されて いますが、1300系で3扉で製造された1307-1308や、ほぼ同じ時期 に製造された1600系の最終グループは、Hゴム支持のままで製造 されていますが、これは京都線の保守側が嫌ったんでしょうか?
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[38] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/19(Mon) 20:26 No.612 | |
3扉車は窓割付も変わったので図面を新規に起こしているが1600系は2扉のままで変更せずにそのまま流したのでしょう。
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[39] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/20(Tue) 08:23 No.613 | |
窓枠のHゴムも印象を変えますね。 特に白いHゴムは明るい感じになります。
610系ではたしか617号以降が白のHゴム だったと思います。 616号までとはかなり違うイメージでした。
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[40] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/21(Wed) 11:51 No.614 | |
>>38 1600系の場合は、設計変更しなかった可能性が高いですが、 1307-1308は、連結面の窓も含めてHゴム支持のままというのが ちょっと気になります。
Hゴム支持グループは、後に運転台部のガラスが交換された際に 金属押さえになり、車体色と一緒になってしまったのは、印象 があまり良くなく感じましたね。
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[41] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/23(Fri) 15:55 No.615 | |
おぼろげの記憶から、やはり 1100〜1107号ユニットは白Hゴムの顔だったですね。 1108号以降はなかったです。 というか、別のHゴムか金属何とか、だったのですか。 1010系も1029号までは白Hゴムの顔でしたが、 1030号以降は違っていました。 それにしても2扉の1010・1100系は美しかったですね。
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[42] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/25(Sun) 08:08 No.616 | |
やはりおぼろげな思い出ですが、2扉車の6連時代は 1140-1190+1100-1150+1101-1151 1102-1152+1103-1153+1104-1154 1105-1155+1106-1156+1107-1157 1140-1190は増備の3扉車で、当初は 1140+1100-1150+1101-1151 だったと思われますが、さすがに見ていません。
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[43] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/25(Sun) 17:14 No.617 | |
>>42 1964年夏頃に父のカメラを借りた撮影で 1144-1194+1104+1154-1105+1155の急行を記録しています。
>>41 1030、1108以降の前面ガラスは貫通扉部も含め車内から嵌めて押面で固定する方法なので外部は外板だけですね。 Hゴム止めはゴムを被せている外板が浸水で腐食し易いので保守改善の可能性があります。
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[44] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/26(Mon) 16:52 No.618 | |
>>43 貴重なご報告(記録)をありがとうございます。
私は1964年(東京五輪の年ですね。)にも沿線にいたのですが、 編成車番の記憶はなく、少し後年の1966年あたりから車番を 見ていました。
>>42 の他の1100系6連の編成は、 1141-1191+1112-1162+1113-1163 1142-1192+1108-1158+1109-1159 1143-1193+1114-1164+1115-1165 1144-1194+1110-1160+1111-1161 1145-1195+1116-1166+1117-1167 だったと思います。 そこで私の推測ですが、5連化の時点で、 1142+1102-1152+1103-1153 1144+1104-1154+1105-1155 1146+1106-1156+1107-1157 という編成にしていたのかもしれませんね。 その後6連化で>>43氏にある1144Fになっていたのでしょう。
そのほかの1141 1143 1145の編成はそれぞれ車番を合わせる ように上記の3扉車と組んでいたのでしょうね。
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[45] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/12/27(Tue) 16:57 No.619 | |
>>42 1102Fと1105Fの梅田側2両は「座席短縮」されました。 特に、1102号と1105号の梅田側は窓枠2つ分の座席が撤去され、 やや痛々しい印象でした。
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[46] | 投稿者:名無し 投稿日:2017/01/02(Mon) 11:23 No.620 | |
2017年になりました。 2000系が阪急で編成単位で走っていた頃の写真を見ると、 車番が年(西暦)に見えてきます。2005を見ると愛知万博の年だったなとか、 2011を見ると大変な年だったなとか・・・。 阪急での現役時代(1992年まで)にはそんな発想はし得ませんでした。 2015と2016は連番で能勢電には行きませんでしたね。
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[47] | 投稿者:名無し 投稿日:2017/01/02(Mon) 16:29 No.621 | |
今年の西暦、2017号はFS344という特異な台車をはいていましたね。 ちなみに今年は昭和92年になる勘定です。 昭和もどんどん遠くになります。
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[48] | 投稿者:名無し 投稿日:2017/01/02(Mon) 19:00 No.622 | |
FS344は我国初のミンデンドイツ台車ですね。揺れ枕や枕バネはFS33と共通でFS345との合いの子みたいな外観でした。 当初は2011が履いていました。
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[49] | 投稿者:名無し 投稿日:2017/01/03(Tue) 12:59 No.623 | |
2000系先頭車で、能勢電に行かなかったのは、2007・2016・2065 の3両ですね。2016-2015-2065は、編成単位では唯一譲渡されず に終わっていますが、両数的に充足していたとは言え、ちょっと 勿体無く感じた記憶があります。
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[50] | 投稿者:名無し 投稿日:2017/01/04(Wed) 08:25 No.624 | |
2065-2015-2066-2016+2067-2017 の編成で竣工したはず ですが、みたことがありません。 2050Fから2060Fは4連でしたが、 2062F 2065F 2068Fは 4+2でした。 このため、2065と2067は奇数で梅田側先頭となる 貴重な例でした(2021系を除いて)。 しかし、2067号は阪急ではほとんど顔出しなかった ような(能勢電に移ってからは先頭に?)。
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[51] | 投稿者:名無し 投稿日:2017/01/06(Fri) 08:12 No.625 | |
現在2067は能勢電1752になっていますね 2067-2006-2057-2017 → 1752-1732-1782-1702
運転台付き車両だけど、車庫内などを除いて先頭車として 走ったことがない車両はいるだろうと思います。
2067と2017の間に2056Fの中間車が割り込んでいます。 元々は隣接する同士だったはずですが、後に生き別れとなり、2057は阪急での 最晩年には5230Fに連結されていましたね。自分の好きな下記の編成です。 5230-2882-2091-5240+5231-2057-2052-5241
89年〜92年までの初期廃車のうち能勢電に行かなかった車両は2021系を含め 15両ですが、彼らを付随車化して2300系を8連にしたら良いのにと思いました。
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