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スレッド表示 - No. 523 -

【今でも大人気1010系】阪急電鉄旧型車両スレ6【能勢電 ぼくたちの1500系】別室Part5

[1]投稿者:名無しでGO! 投稿日:2016/09/12(Mon) 22:51 No.523  
新スレ立てました。
十三駅の西口に青地に白のメチャ懐かしい字体で
「当駅では途中下車のお取り扱いはしません」という
看板が残っています。いつまでも残してほしいです!

昔は阪急の切符でも途中下車できたんですね
[2]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/15(Thu) 19:09 No.524  
>>1
昭和40年代後半まで存在していた出札窓口で販売する切符には「途中下車指定駅(宝塚)限」と表示されており、
私も実際に宝塚で途中下車したことがあります。
一方、昭和40年代前半から本格的に普及してきた自動券売機で購入する切符では「下車前途無効」と表示されています。

また、山陽や高速からの窓口販売の連絡乗車券では、昭和45年の運賃改定までは「途中下車指定駅限」あるいは
「途中下車宝塚駅限」となっていましたが、運賃改定後は「途中下車前途無効」になっています。
[3]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/16(Fri) 07:00 No.525  
へぇ〜、そうだったんですか

十数年前までは京阪や近鉄でも決められた駅では途中下車が
可能でしたが、今は出来なくなってしまいました(近鉄なら上本町とか)

あと自動改札化が進んだ時代に買った切符に、入鋏省略の文字が
囲んだ線の中に書かれているのを見たことがあります。
[4]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/16(Fri) 17:22 No.526  
乗車券に関する各スレで思い出すのですが、
昔は紙の回数券で1区、2区など区ごとのものだった記憶。
乗車する駅で丸い駅印(スタンプ)を押してもらったような。
[5]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/16(Fri) 21:15 No.527  
自動改札になる前の回数券は使ったことがあります。
今も会社によってはあのような回数券が使われているかと思います。

京都線の特急で「乗車券を拝見します」ということで車掌さんが回って来て、
丸の中に「検」の文字がある判子を押してもらったことがあります。
十三〜大宮まで30分ほどノンストップでしたからね。
[6]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/17(Sat) 00:01 No.528  
>>5
検札は車掌が行うのではなく、検札専門の係員が3人ほど十三から別途乗り込んできて行うのが一般的です。
それを見ると特急に乗るのをあきらめて、後続の急行にします。
不正乗車をしていなくても、検札を受けるのはものすごく気分が悪いです。
[7]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/17(Sat) 07:29 No.529  
>>6
大宮から下りの特急で特別検札して十三で下車、
折返しで上り特急に乗っていたと思います。

何か不正乗車を「摘発」するという雰囲気ありありで、
私も良い感じはしませんでした。

2分後の急行でも当時俊足で、特急の7,8分後には京都に
着いていましたね。
[8]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/18(Sun) 20:27 No.530  
車内検札は無くても十三駅6号線梅田寄り階段と乗換跨線橋階段のところで検札がおこなわれてましたね。休日等混雑時によくやってました。
京都線特急は大宮−十三ノンストップなのでキセルの言い逃れは出来ませんね。
当時は定期を持っている人が自宅最寄駅へ帰る際、発駅から1区だけ切符を買ってのキセルがまかり通ってました。
[9]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/19(Mon) 21:29 No.531  
当時、特急の車掌は上りは淡路を通過してから、
下りは桂を通過してから、車内を巡回していました。
運転室に入って、運転士としばらく「雑談」する姿も見かけました。

ただ、特別検札チームが乗りこんだ場合は、運転室には
入らずに、そそくさと後部へ戻っていきました。
[10]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/19(Mon) 22:44 No.532  
>>6
P6急行引退後に急行の運転曲線が2300系になった時の梅田−河原町44分が最速でしたね。特急は38分。
[11]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/22(Thu) 09:03 No.533  
自分の場合は、見回りに来たらちゃんとした切符を堂々と見せ、
それで清々しい気分になったものですww

正しい乗車で明るい車内
[12]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/27(Tue) 13:47 No.534  
当時はまだ旧来の学生服黒のようなツメ入り制服で、
検札チームは警官のような威圧感がありました。
制服がスーツになったのは、万博の直前ぐらいから
だったでしょうか。
[13]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/29(Thu) 15:34 No.535  
万博を前にして制服が変わりましたよ
[14]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/29(Thu) 17:15 No.536  
>>12 詰襟ですね。
スーツになり、ここ数年は女性乗務員も増えて
当時とは隔世の感があります。
[15]投稿者:名無し 投稿日:2016/09/30(Fri) 07:41 No.537  
大阪市交とか他社も詰襟でした
[16]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/01(Sat) 12:04 No.538  
昔は「車内補充券」?というのを車掌さんが
発行してくれました。
大きな紙片の券がほしくてわざわざ乗り越しして、
車掌さんに出してもらったもんです。
[17]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/04(Tue) 17:16 No.539  
当時まだ若い車掌氏は、私の依頼に
面倒な顔もせず発券してくれました。
もう現在は定年退職されているのかも
しれませんね。
[18]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/07(Fri) 15:51 No.540  
久しぶりに車両の話題で、

古いアルバムを見ていると、865号先頭の写真があり、
運行標識板の掲出位置がやや下方にずれています。

814号の取付位置が下方にずれていたのはよく知られて
いるところですが。
810系814型新製の際には、1両1両手動で溶接していたのですかね。

もし、864号を拝顔していれば、相当下方になっていた
のかもしれませんね。
[19]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/07(Fri) 18:30 No.541  
運行標識板の取付部の位置がずれていた車両と言えば、2092
が少し内側になっていました。

後年、能勢電に譲渡されて1750になってからも、この特徴は
そのままでしたね。
[20]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/11(Tue) 16:29 No.542  
>>19
確かに中央寄りにずれていましたね。
旧2162号です。
宝塚線、神戸線(須磨浦公園)、京都線を走った貴重な
車両でした。ざっと変遷を調べなおしてみました。

S37-12 2162-2112-2163-2113+2164-2114 で新造、宝塚線
S41-12-14 4年後早くも昇圧改造を受けて1個パンタ化。
 この時にモーターを120kwに取替、台車の軸ばね用オイルダンパも
 取付されたと思います。
S42-10-18 神戸線へ転出
S43-12-15 2162-2112-2113+2065-2015-2066-2016 の編成で
 宝塚線へ里帰り。S44-8-24 宝塚線昇圧日の後、
S44-8-28 まで宝塚線使用確認
S45-3-19 2162-2112-2113+2058-2009+2164-2114 で神戸線
S45-11-28 6連で神戸線走行(車番不詳)
S48-10 京都線所属 S52-3-5 神戸線に復帰
S54-5-29 改番、冷改、編成替え *:運転台撤去
 2058-2009*+2092-2042-2174-2043-2094-2044 となる。
その後、S54-8〜9頃神戸線で編成替えがあり、
 2092-2042-2174-2043-2056-2006-2057-2007 とメモしていました。

激動の阪急生活でした。
[21]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/12(Wed) 20:21 No.543  
2162編成の昇圧改造は150KWモータ化とギヤ比6.07→5.31変更で実質2000系化でした。
その後の改番で名実共2000系となりました。
[22]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/13(Thu) 11:57 No.544  
>>21
2162Fの出力アップは、100kw→150kw でしたね。
120kwは3100系、3000系は170kw でした。

>>20の京都線使用時期の編成は、
2162-2112-2113+2164-2114+2058-2009
特急の2枚看板を付けた時には、
右側が中央寄り、左側は通常だった印象です。
[23]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/13(Thu) 22:17 No.545  
>>20
2058Fの冷房改造直後の編成は、あまり知られていない様に
思います。

編成変更後は、運転台付車と運転台撤去車だらけで、純然
たる中間車が2008だけだったという、かなり特異な編成に
なっていましたね。
[24]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/14(Fri) 08:43 No.546  
>>23
S54.8.21火に、
2058-2009-2052-2008-2089-2003+*2094-2044
となり神戸線走行とメモしています。

まさに「運転台と運転台撤去車だらけ」ですね。
[25]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/15(Sat) 07:21 No.547  
8連貫通とかだと面白みに欠けるし、
中間車に対しては何の思い入れも湧かないです

運転台や運転台を潰した車両、何か特徴のある車両が
入っていてこそ、編成は面白いと感じます

2058は昭和60年代の一時期には2800系も入れていましたね
[26]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/15(Sat) 13:13 No.548  
5000系の方向幕取り付け工事の関係で、2174との入れ替えで
2883が編成に組み込まれていました。

その後、しばらく休車になっていた2004と差し替えられて、
2800系最初の廃車(2817Fと同時)になっています。

六甲事故以降、2000系は、本線・支線の車両入れ替えが頻繁
に行われ、2代目2050が現れるなど、興味深かったですね。
[27]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/16(Sun) 08:54 No.549  
2024(2174)号は、T化後かなり数奇な運命をたどった様子ですね。

私のメモでは、'73.10頃から'77.10頃のかなり長期間、
2056-2006-2024-2007+2052-2008-2057-2003
という編成で神戸線所属となっています。

この間、他の2000系(2162Fも)は京都線へ転出しています。
2056Fも短期間京都線走行があったと、過去スレにあったようです。
その後、>>20 >>26 のような変遷があるようなので、
いろいろと渡り歩いていた感じですね。
[28]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/18(Tue) 08:51 No.550  
少し前の'70.11.28土には、
2162-2112-2025-2113+2164-2114
2056-2006-2022-2008-2057-2007+2052-2003
とメモしています。
上については、2025号は3062Fに入っていた印象でしたが。
下にていては、2008号の放浪が始まった印象ですね。
[29]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/22(Sat) 10:33 No.551  
2163号も3066Fに編入されてから長い生活でした。
'68(S43)12.15金 3066Fに加わっています。宝塚線(神戸線より転入)
廃車は'14でしたか?
そうすると46年間ほど3067と3510の間だったのですね。
[30]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/22(Sat) 18:23 No.552  
>>29
3000系に編入された2000系列のT車は、冷房改造前後で TcTMMc から TcMTMc に編成順序が変更されていますので、
3067と3510の間にいた期間はわずか8年ほどしかないのに対し、3510と3017の間にいた期間は38年になります。
[31]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/22(Sat) 18:33 No.553  
>>30
でしたね。失礼しました。
[32]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/22(Sat) 22:22 No.554  
非冷房時代の3000、3100はおしどり制御だったので、その引通し線を持たない2000系T車はM-Mc間に連結出来ませんでしたね。
[33]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/23(Sun) 02:25 No.555  
>>32
素人目には、パンタが中間M車に移設された冷改後のほうが
「おしどり」方式のように思うのですが、そうではないのですね。
[34]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/23(Sun) 10:14 No.556  
先日発売された「阪急電鉄神戸線・1950〜1990年代の記録」を
見ると、これまであまり見かけた事の無い写真が多くて興味深い
のですが、なかでも、塚口駅の伊丹線用降車専用ホームの写真
は、珍しいのではないかと思います。
[35]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/23(Sun) 11:47 No.557  
>>34
その降車ホームに降りると梅田行きへの乗り換えがたいへんでしょうね。

その書籍の60ページ、三宮を発車する5203の写真なんですが、
1両目と2両目の側面の車両番号がまったく見えません。
光線や反射の具合でもなさそうですし、わかる方いますか?
まさかこの時、車両番号を取り払っていたんでしょうか。
[36]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/23(Sun) 20:31 No.558  
>>33
3000,3100系は昇圧即応車で600V時はMc,Mは独立した主回路。
1500VではMc,Mの主回路を直列に接続して対応。Mc(高圧車)→M(低圧車)の順に電流が流れる。よってM車のパンタに主回路電流は流れていない。
2両の主制御器は同期してカム軸が進段する必要があり(オシドリ制御の名の由縁)そのための制御線の引通線もあり3550,3650形は主回路と制御線を引通していた
連切換スイッチが床下にありそれを操作すれば簡単に600V−1500Vの切換が可能だった。

冷房改造で保守軽減のため制御器を新製し5000系のような1C8M制御(MM'方式)に更新されて主制御器とパンタはM車に配置となった。
[37]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/23(Sun) 22:47 No.559  
訂正
単切換×
単連切換〇
脱字でした。少々専門的な話ですんません。

オシドリ制御は800系の神戸線−京都線直通運転用福電圧仕様車で初めて使用されています。
この時は800形も850形も2個モータの電動車でした。
802+852、803+853編成(製造当初は702+752、703+753)
[38]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/24(Mon) 14:10 No.560  
>>36
時系列にすると、
600Vで非冷房時代、1500Vで非冷房時代、1500Vで冷房改造後
の3期になり、電気的には後者の2期が「おしどり」方式に
該当するのでしょうか。

そういえば、2300系も冷房改造後、
2321-2341-2391-2371 のように、Mc,Mが隣になったのも
「引き通し線」に関係すのでしょうか。
[39]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/24(Mon) 14:21 No.561  
>>35
この時期の5203Fは、以下の編成でした。

5203-2882-2887-5243+5233-5682-5671-5244

車番が見えないのは、光の都合か、本に掲載するための画像の
デジタル処理実施で、消えてしまったかのどちらかでしょう。
[40]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/24(Mon) 23:10 No.562  
>>38
600V,1500V非冷房時代がオシドリ制御時代になりますが、その機能を発揮したのは1500V非冷房時代になりますね。

2300系は機器更新で1C8M制御(MM'方式)になった際Mc-Mとし、T車の引通し線は追加されませんでした。

阪急では1C8M制御でも5000,5100,5300,6000,7000とMM'間にT車を挟むのはごく当たり前にやっています。
[41]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/25(Tue) 10:21 No.563  
>>39 自分はその本を見ていませんが、その編成であるならば2両目は2881です
2881と2887は神戸線移籍後、ずっと5203編成の2、3両目にいました
[42]投稿者:39 投稿日:2016/10/25(Tue) 17:20 No.564  
>>41
ご指摘有難うございます。39の記述は誤記でした。

2882は、5012Fに2883とともに組み込まれていましたね。最初
に神戸線に転入してきたのも2882と2883ですが、神戸線でこの
2両が組み込まれた編成を見た時には、かなり驚いたのを思い出します。
[43]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/25(Tue) 20:51 No.565  
5200系に組み込まれた2880型は、
2800系の「引き通し線」を持っていたから
そのまま5200系のM車間に入れたんですか?
[44]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/25(Tue) 22:30 No.566  
>>43
5200系に組込むためモータ引通し線を改造で追加。
2800系は元々M車単独の1C4M制御のため引き通し線はなし。
5200系組込で冷房電源確保のため60KVAの大型MGを取付た車もある。
[45]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/26(Wed) 06:22 No.567  
2882と2883は
5012-2882-5512-5062+5013-2883-5513-5063と下一桁も綺麗に
揃えられました。2081、2183、2084、2185、2086、2082、2182
などもそうでした。2885も2315Fの3両目にいましたし、2884は番号
こそ揃いませんでしたが、空気バネ編成に入りました。
2311-2331-2884-2361+2320-2340-2370
2315-2335-2885-2365+2316-2336-2366だったかと。
[46]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/26(Wed) 12:48 No.568  
>>45 40 36 32
ご丁寧な説明をありがとうございます。
しかし私は、
パンタグラフのある電動車からパンタグラフを持たない電動車
へ「電気」を送る総称を「おしどり方式」というのだ、
という半世紀にわたる思い込みがあり、どうも釈然としないのが実感です。
[47]投稿者:名無し 投稿日:2016/10/26(Wed) 20:15 No.569  
1C8M制御は2両分のモータを1個の制御器で制御し切放しては運転出来ないので「ユニット式」と呼ぶのが良いかと。

新1000系は8個のモータを1箱の制御器で制御するが、4個分のモータを制御する制御ユニットを2セット積んだ形なので
抵抗制御時代とは意味合いが違いますね。
[48]投稿者:名無し 投稿日:2016/11/04(Fri) 09:18 No.570  
>>29
3066Fの2,3両目は、3509-3559 で番号が揃っていました。
3559号は当初3080Fに入っていましたが、'76(S51)年頃から
3066Fに移っています。
3080Fは7連、また6連となり、須磨浦公園にも乗り入れました。
T車の3550番台の経緯も興味深いですね。
3550〜3556は本来の3500番台とペアで投入されましたが、
3552,3553は3158F 3160Fに編入されたのは既出の通りです。
増備組の3557〜3561は、'73(S48)年頃、それぞれ3076F 3078F
3080F 3082F 3074Fに入りました。
どれもペアの3500番台とは番号がずれていました。
[49]投稿者:名無し 投稿日:2016/11/04(Fri) 10:43 No.571  
>>48
3080Fは、相方の3081Fとともに、昭和50年頃には今津線での
4連運用で、その後3050Fと入れ替わって本線に戻り、昭和51年頃
に冷房改造されたと記憶しています。3559は、冷房改造の際に
外されたのでしょうね。
[50]投稿者:名無し 投稿日:2016/11/05(Sat) 10:46 No.572  
>>49
3080 3081の各4連は、'74(S49)10月に今津線
3050 3051の各4連は、'75(S50)10月と翌'76(S51)10月に今津線
とメモしています。
3050 3051の方がやや長期間今津線を走っていたようですね。
今津線を走った3550型は、3550と3559だけになるのでしょうか。
当時今津線は4連の末期で、800・920系や615F,620F(5連)
やがて810系も走りますが、沿線の宅地開発などで混雑も
激しくなり、乗客の「ガス抜き」的な配慮で3000系を
走らせたのかもしれませんね。
[51]投稿者:名無し 投稿日:2016/11/08(Tue) 12:12 No.575  
>>50
620-670*+618-632-668 *:運転台撤去
615-669*+619-635-665 *:運転台撤去
620Fの632号は宝塚線時代から変わらないユニットです。
615Fはなぜ619号が中間に入ったのか気になりますね。
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