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スレッド表示 - No. 416 -

【今でも大人気1010系】阪急電鉄旧型車両スレ6【能勢電 ぼくたちの1500系】別室Part3

[1]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 21:22 No.416  
新スレです。
[2]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/17(Fri) 18:10 No.420  
能勢電1500、1700系に続いて阪急・能勢電1000系列冷房改造車の編成表

1010・1100系冷房改造車(改造当時の編成)
1030-1031+1106-1156+1107-1157
1108-1158+1109-1159+1104-1164+1103-1153
1110-1160+1140-1190+1026-1027+1028-1029
1113-1163+1143-1133+1102-1152+1105-1155
1115-1165+1145-1195+1032-1033+1036-1037

千里線1300系冷房改造車(改造当時の編成)
1303-1354-1353-1304+1301-1352-1302
1307-1358-1357-1308+1305-1356-1306

能勢電1000系の阪急時代の番号と能勢電での番号(改造当時の編成)
1030-1032+1033-1037 → 1000-1080-1030-1050・・・2、3両目は客室延長
1108-1158+1110-1159 → 1001-1081-1031-1051・・・2、3両目は客室延長
[3]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/17(Fri) 18:18 No.421  
・1000形や1050形は全く冷房改造されなかった
・1000系列の中間電動車は1230形を除くと能勢電1030形が唯一
・1010・1100系各々の2ドア最終編成が阪急では最後まで残り、3ドア第一編成が能勢電に譲渡された
・能勢電に譲渡された8両を除くと冷房車としては短命だったので、冷房機は廃車時に製造が進んでいた7000系列に流用された
・冷房改造車の台車も2000系列に流用されている可能性がある
[4]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/17(Fri) 20:33 No.422  
1010,1100系のFS324、324Aは2000、2300系列のエコノミカル台車淘汰のため一部が流用されてますね。救援車の4050形用のみ現存。
[5]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/17(Fri) 21:41 No.423  
1300系の冷房改造で思い出しましたが、最初の冷房改造対象
となった1303Fの1304が、冷房改造に向けてアルナ工機へ入場
する為、尼崎駅に送られてきたのを見た記憶があります。

今より圧倒的に情報の少ない時代ゆえ、また、3000系の冷房
改造が始まった直後に、1300系が入場したのを見て、少し驚き
を感じた記憶があります。
[6]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/18(Sat) 07:44 No.424  
情報が少なかった昔の方が色々と想像できて面白かったのかもしれませんね。
2816と2817は最近見ないな、2300系より新しいのに消える訳ないし、
伊丹線にでも行ったのかな、などと思うこともw 数年してから事実を知りました。

1000系列は明治以来のデザインを継承していながら冷房が載ったのが良かったです。
改造されたのは52両ですが、1000系列カルダン車(106両)のおよそ半数と言うことになりますね。
[7]投稿者:5 投稿日:2016/06/18(Sat) 09:29 No.426  
アルナ工機では、工場操業中や休日のどちらでも、守衛の方に
訪問理由を説明すれば、入場が許可された時期がありました。

操業中の場合は、案内の方が一緒でしたが、構内を自由に歩く
事が出来まして、出場に向けて最後の整備中だった6357Fの
車内に入れさせてもらったり、冷房改造の為に入場中の2071
を見せてもらった事や、その後の訪問時には、まだナンバー
は取り付けられていなかったものの、工場の人より「これは
来年登場予定の阪急の新車で、7000系です」と説明されて、
驚いた記憶があります。

ほかにも、有名な東武の試作ステンレス車体や、事務所として
使用されていた東武8000系に似た車体などがあり、飽きる事は
ありませんでした。

いい時代だったと思います。
[8]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/18(Sat) 09:49 No.428  
今の時代だったらアウトなんでしょうね。

2313F引退のころにも話題になりましたが、今じゃコンプライアンスだの何だのと
言って、何でもかんでもダメになってしまいましたから。しかもネットで書いたり
写真を掲載したりすると、炎上し、社員もペナルティを受けることにorz

昭和49年に大阪駅で雷鳥か白鳥の運転士が隣にいる汽車を私物と思われるカメラで
撮影して、その様子がニュースで映っても文句を言う人間など誰もいませんでしたし、
撮影のために荷物車に乗っけてもらったり、信号所や操車場の中に入れてもらったり
とか、みんな色んなことをしていましたよ。今じゃコネがあっても不可ですな。
[9]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/20(Mon) 18:32 No.429  
調子に乗って610系も
664 → 640
669 → 650
670 → 651
672 → 652
621 → 653
613 → 654
633 → 655
671 → 656

610系の次に1500系が登場した時は本当に驚いたなあ!

小型・ツリカケ・旧デザイン・非冷房・非表示から一挙に
大型・カルダン・新デザイン・冷房付・表示付に大大進化したのだから

しかし、
能勢での登場年は610系が昭和52年、2100系は昭和58年で6年差しかないけど、
阪急での登場年も610系が昭和28年、2100系は昭和36年で8年差しかなく、
元からそんなに差がある訳じゃなかったんだね

2100系の冷房化と表示化は能勢電に行く時だったけど
[10]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/21(Tue) 11:26 No.430  
3100系の思い出を少々・・・

'64(S39) 日にちは不詳ですが、おそらく11〜12月
3150(6) 3152(6)が投入、同時に3052(6)も。
最新鋭だった2021系 2100系から一挙に3000番台に、
しかも中間車が3600番台になり驚きました。
パンタグラフも一つになり斬新でした。

'65(S40)この年も日にち不詳ですが、
3154(7) 3156(7)が投入、3154Fに3603を入れて7連と
したため、3156Fの2,3両目は3604-3653で一の位が
ずれました。

'66(S41)11.29 3158(7) 同12.1 3160(7)使用開始。
T車は神戸線から3552 3553が編入されて、ちょっと
残念だったのを覚えています。
この頃、3150Fに3611 3152Fに3610が入って7連化
されました。
[11]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/21(Tue) 12:20 No.431  
3552と3553が編入された話は鉄道ファン88年8月号にも出ていますね。
こんな早い段階から「他形式編入」をやっていたんですね。
[12]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/21(Tue) 18:57 No.432  
3552 3553は、3054Fと3056Fを3M3Tから4M2Tに編成替えした
ねん出というか余りでした。
当時、新幹線以外では最強の出力といわれたような。
3054Fは梅田側2両目は当初の3502ですが、5両目は新製の3517、
3056Fは梅田側2両目は当初の3503ですが、5両目は新製の3518になっています。
[13]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/21(Tue) 22:21 No.433  
3552 3553の3100系編入。
神戸線昇圧準備でMc-Mのオシドリ編成にするためでしたね。
[14]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/22(Wed) 06:46 No.434  
Mの3500、3600形やTの3550、3650形は、
先頭車の番号に合わせて編成替えをしたり改番することは
ありませんでしたね。
[15]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/22(Wed) 17:14 No.435  
♪ 今日で お別れね もう逢えない

1500系、長年のご活躍有り難うございました

2100系として生まれたけど1700系になった3両には乗り続けます
[16]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/23(Thu) 16:06 No.436  
>>14
3552 3553は本来の相棒と2年ほどで別れて
その後50年近く3600M車の相棒となって
生涯を終えたことになりますね。

改番にはどうしてもなじめませんでした。
現在もですが、これまでに
2162〜の2092〜化や2021系M車の2171系化も
2100系を見つめてきた記憶もあって、
とても奇異に感じてなじめませんでした。
[17]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/23(Thu) 19:46 No.437  
番号に付いて阪急はキッチリしているようで、そうでないような気もします。

1000形は付随車になっても1050番の続番に改番されたりはしませんでした。
形式全体が付随車化されたので、そのままでいいと言う判断かも知れません。
2171〜も冷房化までは番号が電動車時代のままでした。

自分は5000系リニューアル時の改番はかなり違和感がありますね。
[18]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/23(Thu) 20:05 No.438  
ついでですが、交友社「鉄道ファン」によると旧5650形がまた2両離脱したみたいです。
改造後、たった11年です。もっとも1000、2000系列も冷改からその程度で廃車された車両はいます。
2000系列はそのままにするか濃い木目の壁紙を貼って、5000系だけ改造すれば良かったんじゃないのって思います。

そうすれば前述のような改番もなかったでしょう。私は5010Fリニューアル前に正雀の方に「60年使う」と
聞いていたのに45年程度で離脱で、しかも未更新車どころか未だ多数いる先輩形式に先んじて更新車が引退
してしまうとか、ちょっと理解できません。方針が変わったかよほど問題でもあったのでしょうかね。
[19]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/23(Thu) 22:04 No.439  
5200系は組み合わせ方が変だ

5200の反対側は5250
5201 〃 5251
5202 〃 5252

5230 〃 5240
5231 〃 5241
5232 〃 5242
5233 〃 5243

なのに5203だけは相方が5244
5203ではなく5234の方が理にかなうのでは?
[20]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/23(Thu) 22:25 No.440  
>>18

5000系から外された旧5650形ですが、編入先が無いということでしょう。編入するとすれば元の5100しかないがMT比を考慮すれば・・・無いですね。

>>19

5203-5243+5233-5244で増備されて5013-5563-5513-5063と組んで連解8連で運用を開始した経緯のため。その関係で5244は自連付でした。
[21]投稿者:19 投稿日:2016/06/23(Thu) 22:52 No.441  
さっそくレスありがと
5000系は支線よりも宝塚線で走って欲しかったね〜
[22]投稿者:19 投稿日:2016/06/23(Thu) 23:05 No.442  
そういや角和夫氏が『宝塚線で5000系を運転したことがある』と
テレビで発言していたけど、時期からすると5100系でしょうな
[23]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/24(Fri) 08:29 No.443  
21世紀になってからの阪急の車両政策は迷走、行き当たりばったりに
なっているように感じます。

5000系は早期の支線転用を考慮するのなら、すべての編成を貫通化
しなかったと思います。少なくとも5030-5040あたりは乗務員室を
残しただろうと推測します。5100系5両の運転&電装撤去も同様です。
「中間車」と同等の形状に改造するには金も掛かっているはずです。
[24]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/24(Fri) 17:45 No.444  
5000系の処遇は難しい問題ですね。 ただ私の中では歴代の形式の中で1番の「ミスター神戸本線」だと 思うのですよ。2位が920系 3位が3000系でしょうか、、、性能的には3000系も5000系と大差ないですが 支線運用が5000系は3000系と比べて期間が短いですからね。宝塚線運用も一部が短期間だけでしたしね。
[25]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/24(Fri) 18:25 No.445  
昭和24年に建造された1550形はP6と運命を共にしたので、例を挙げると大正15年生まれの600系より23年も若いのに先に引退してしまいました。
1年上の700系は車体が簡素な作りで短命だったと言われていますが、1550形はしっかりした大型車体を有していたのに更に短く終わっています。

残念ながらこのような終わり方をする車両は一定数出てしまいますね。他社だったら同じ編成内でも早く引退することが
想定される車両は改造のレベルを下げたりするのですが、阪急は原則的に先頭から最後尾まで全部同じで揃えるのでしょう。
[26]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/26(Sun) 09:01 No.446  
「離脱」よりも「残留」の方が良いみたいですね・・・・イギリスのことですが

>>24
>「ミスター神戸本線」 
この表現はしっくりきますね。3000系は神宝両線で使用されるのに、5000系は神戸線ばかりですからね。

ブレーブス坊やのマーク(背景が濃い緑と黄色のを見たことがある)を取り付けた列車や、
駅でも確か試合の途中経過や結果が電光掲示で出ていませんでしたかね。
特急は標識灯を2つとも点灯して2枚看板で走り、側面の赤ランプも点灯して走る姿は格好良かったです。
[27]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/26(Sun) 10:22 No.447  
確かに、5000系は5012Fが短期間宝塚線で走った以外は、ほぼ
神戸線での運用に終始しましたから、余計にその様に感じます。
5012Fが短期間で神戸線に戻った理由として、ノッチのON/OFF
を繰り返す運転が嫌われたという話がありますが、ほぼ同じ
性能の3000系が問題なく使用されていた事を考えると、元々
長期間の使用は考えていなかったのではと思っています。
[28]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/26(Sun) 17:47 No.448  
5200系は宝塚線がデビュー路線でしたが、その後は最末期に5201Fが
箕面線で走るまで宝塚線系での旅客運用はなかったと思われます。

震災で今津北線が分断された時に5203Fが宝塚線を経由して回送された
話は聞いています。同時に2800系の宝塚線への初入線だったそうです。
[29]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/26(Sun) 18:39 No.449  
>>20
昔の阪急だったらこんな不格好なことはしなかっただろうと思います。

付随化もしくは廃車された電動制御車8両をそのままの姿で残しておけば、
余剰になった車両たちも5100系に復帰できたかもしれません。

まぁ今さら言っても仕方がないですが。

車両が引退する場合でも、塗装が剥げ落ちてしまい、ほぼ復帰の見込みが
なさそうな車両でさえ後生大事に車庫で残している場合があるかと思えば、
つい最近まで走っていた車両の部品取り外し作業が早くも始まったりとか、
色々な例がありますね。
[30]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/27(Mon) 20:22 No.450  
>>27

3000系は当時宝塚線運用では弱界磁を使用してなかったので80Km/hが最高速度での運用は問題は無かった。
では5000系でもということになるが何か問題でもあったのかも。
[31]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/27(Mon) 23:47 No.451  
>>29
昔の例で言えば、平井車庫に6年ほど留置された915〜918や、
西宮車庫で5年ほど留置された1232・1233などは、使い道が
無かったとは言え、かなりの長期間、休車のまま残っていた
事になります。

西宮の1232・1233は、すっかり色あせて、ぼろぼろの状態に
なった姿が外からも見え、随分哀れな状態でしたが、もしも
この2両が、電装解除されずに昇圧されていたら、違う運命を
辿っていたのではないかと思っています。
[32]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/30(Thu) 19:11 No.452  
>>31
残すということは、使用する可能性がわずかであったとしても
あったことになりますね。

挙げられた以外にも、正雀の隅や国鉄側に古い車両がいるのを見たような
覚えがあります。一時的に留置されていただけかも知れません。

旧型車なき後だと
2357は91年から10年間留置の後に廃車
(同時期に運用離脱した2000/2071系非表示T車は再登板なく全て廃車。2177のみ2062内で復帰と言う話も)
3392などは10年未満だったと思いますが、かなりの期間休車になっていましたが復活
2802の2連は廃車体の状態で様々なテストに5年ほど使用

今はワンハンドルだけでも7両休車になっているようですね
[33]投稿者:名無し 投稿日:2016/06/30(Thu) 19:19 No.453  
90年代、JRの宮原操車場の転車台付近に旧客が4両留置されていました
汽車運転時やイベントで使うために残されている車両と違って、整備もされず状態は悪かったです

その頃にあった一般公開で二重屋根のことを「桃山式」と言うことを職員さんから聞きました

後年、風雨で車体が崩壊するのを防ぐために解体されたと言うような話を聞きました
うち1両は青い塗装で、丸屋根は撤去されて冷房機が載り、グリーン車のマークも付いていました
[34]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/02(Sat) 13:45 No.454  
>>29
既出ですが、'80.10.1水 正雀外周(左回り)メモです。

4501 3361 2354 5420 116 3362 1655 670 1306 5409
2356 971 972 6116 2251
ここから国鉄側留置 3339 3855 3815 969 669 672 900

何ともバラエティに富んだ時代でした。
[35]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/02(Sat) 16:17 No.455  
>>34
丁度このころ、正雀工場の周りを歩いた記憶がありますが、
669などの610系T車は、いずれ能勢電に行くのだろうという
推測が出来ましたが、何故969などの920系T車が、何両も
留置されているのか、不思議に思ったものです。
[36]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/05(Tue) 11:06 No.456  
>>34
当時周囲は枕木に防腐剤?黒ペンキを塗って針金だけの
簡単な囲いでした。
国鉄側の道路を搬出入用?の線路がまたいでいて、
雑草が茂っていた記憶があります。
今では考えられない情景でしたね。
[37]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/06(Wed) 07:18 No.457  
>>35

669号は長く宝塚側の先頭で
617-634-667+619-635-669 として走っていましたが、
車体更新で中間化され
619-669"+617-634-635-667 となりました。
子ども心に驚かされたものです。
[38]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/09(Sat) 01:15 No.458  
610系だったように思われますが、
窓枠に白色のHゴムというものがさし込まれ、やや真新しく
感じたものです。
また、運転席に「レジンジュー取付」という札がかかっていて
運転手に直接何のことか尋ねた記憶があります。
当時乗務員室と窓ガラスは運転席後方だけで、自由に
話ができました。
[39]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/13(Wed) 08:05 No.459  
>>34
車番を見ているだけでワクワクしてきます。
610系は能勢電発送前、920系は休車だったのでしょう。
1655はこの後も2~3年ほどは活躍が続いたはずです。

1980年「10月」なら新系列高性能電車は最年長でもギリギリ10代
だったことになりそうです。みんな若かったなあ〜
今活躍している面々も、いわば原型(に近い)時代ですからね。

国鉄との連絡線は民営化された前後に切られ、向かい合っていた両社の
門も、アルナ車両建設の前だったかには消えてしまいました。
レールは今も3本引かれていると思いますが、残しておけば良かったんじゃ
ないですかね。

116や900は今は屋根のある場所に収納されていますね。
以前はそうじゃなかったので、時間が経つに連れて長年使っていない
休車と同様にココア色になってしまい、また塗り直すという作業を
していたように思います。野ざらしは良くないですわな。
[40]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/13(Wed) 10:56 No.460  
今年になってからの半年あまりで、神宝線系と能勢電だけでも30両を超える車両が廃車されています。
能勢電移籍に伴う阪急からの除籍は含めません。P6は年度で言えば46・47年度の2年度で78両が消えたので、
年平均39両の引退だったことになりますが、それに相当するような消え方になるように思います。
[41]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/13(Wed) 11:14 No.461  
連続してレスを消費して悪いです。
ただいま3150編成が、惜別のHMを付けたまま京都線を走行しています
もう間もなく正雀に到着するかと思われます
[42]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/13(Wed) 21:28 No.462  
>>39
2301Fを屋根のある場所に収納しない事は酷いですね。
[43]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/14(Thu) 07:45 No.463  
すべての車両を屋根のある位置に収容することは出来ないですが、
せめてブルーシートでも巻いておけば痛みは減少すると思います。
[44]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/14(Thu) 20:44 No.464  
>>39
1655は、この時既に編成から外れた休車状態でした。相方の
1605は、1605-1601-1651の3連になり、1602の4連とつないで
7連になり、千里線で使用されていました。

この3連は、昭和57年に千里線運用(梅田駅に入線する最後の
吊掛車でもありました)から外れた後は、VVVF駆動の試験車
として使用の後、1655とともに廃車されました。
[45]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/15(Fri) 06:26 No.465  
1600系が4連と7連に別れて、1両休車になったけど
その休車は1655でありましたか

1600系は12両全車が運転台車のため、奇数編成だと
確実に運転台部分が隣接車両の運転台のない部分と
連結されますので、目立ってました

嵐山線では1656を上り側の先頭とする編成が走っていたので、
番号の並び的に1655はそこで走っていたのかと思ってました

この編成の桂側の先頭は1604でしたかね〜
[46]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/15(Fri) 07:15 No.466  
1600系は千里線用として製造されたけど、100系と同じ機材を積んでいるので
本線の急行でも使われることがあった、などと書かれている本があるのですが
どうなんでしょう?1600系の登場年の昭和32年に10系にも動きがあります。

火災により廃車【2両】:25、55 (昭和11年に全焼し、翌年200系として復旧。昭和45年3月に廃車)
阪急のみで活躍【10両】:9 (29)、10 (30)、12、13、15、16、17、20、26、56 (すべて昭和37度に廃車)
能勢電鉄に貸与【6両】:18、19、24、51、52、53 (すべて昭和36年5月に貸与。昭和41年9月に阪急で廃車)
能勢電鉄に譲渡【8両】:11、14、21、22、23、27、28、54 (すべて昭和32年8月に譲渡。昭和42年までに廃車)
[47]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/15(Fri) 21:24 No.467  
1600系が6連で運用に就いている写真は、ネットで検索すれば
何枚か見る事が出来ますね。ただ、12両だけの存在なので、
影が薄い存在だった様に思います。

1600系は、一旦全車に列車無線とATSが搭載された後で6両の
運転台が撤去されており、後に中間車化された1603が、6連
の先頭に立っている写真が残っています。
[48]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/16(Sat) 08:49 No.468  
>>39
車番を見ているだけで「ワクワク」感、
よ〜くわかります。
当時、高速で走る車内から正雀車庫をちらっと見る
だけでも「ワクワク」したものです。
[49]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/16(Sat) 10:07 No.469  
車庫の横を通過するとき、支線との接続駅を通過or停車するときは
どんな顔ぶれがいるかと、いつも見ていました

今でも特急で塚口を通過する時は、伊丹線のホームに目が行きます
[50]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/16(Sat) 14:23 No.470  
>>49
日中のネットダイヤでは、塚口の特急通過時には
伊丹線列車は不在ですね。残念です。
11日に3050 3052 3054の3編成を見て癒されましたが、
7000系まで投入されたとか。
また3000系の廃車が進むのでは、と気が重くなります。
[51]投稿者:名無し 投稿日:2016/07/16(Sat) 16:28 No.471  
阪急から公式なリリースがあった通り3150編成が引退しましたからね。
昨日はまた5000系8両が京都線を正雀に向かって走って行きましたよ。

昔はワクワクしていたと書きましたが、最近は正雀にも足が向きませんし、
東海道線で岸辺〜千里丘を通る時も、受け入れたくない現実があると思うので
反対側を向いてます。

自分は1000系以前は古い電車、2000系以降は新しい電車という認識で
育ちました。“古い電車”が引退して行くのは仕方ないなあ〜と思って外周から
見ていましたけど、“新しい電車”が引退していくのは、同時代を過ごした仲間
を失うようで悲しいですね。50年も走ったのだから仕方ないんですが。
おなまえ
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