【710系】阪急電鉄旧型車両スレ6【1200系】別室Part2-8
[1] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/05/19(Thu) 19:46 No.367 | |
[2] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/05/21(Sat) 08:06 No.369 | |
[3] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/05/25(Wed) 16:24 No.371 | |
この記事ですが、今津線の805や818の撮影日が昭和52年7月と いうのはありえません。今津線は昭和52年4月から6連化されて いますし、今津線の610系5連も、昭和51年迄ではなかったかと 記憶しています。
また、昭和51年に800系非貫通車と編成替を行って本線運用に 復帰した920系7連の写真から考えると、一連の写真の撮影は、 昭和51年ではないかと思います。
806の写真はいつでしょうね・・・ シールドビーム改造前の 撮影なので、昭和50年以前とは思いますが・・・
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[4] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/05/26(Thu) 19:17 No.372 | |
私も宝塚線の記録から、 801Fの宝塚線使用、S52.7.28 はあり得ません、 977 の区間急行、S52.7.28 はあり得ません。 いずれも前スレでカキこんできた通りです。
1111Fの神戸線急行もS52.7.28時点は宝塚線にいますので、 考えられません。 厳密には、S52.7.28前後数日は、旅行のため確認して いませんが、その前後の記録から明白です。
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[5] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/05/29(Sun) 06:28 No.373 | |
[6] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/05/30(Mon) 17:58 No.374 | |
1111Fの宝塚線履歴を調べてみました。
宝塚線昇圧6日後の'69.8.30土に 1111-1161-1141-1191+1010-1053-1011 の7連で転入します。その後、 1111-1161-1141-1191+1106-1156-1107-1157 の8連になったり元の7連になったりと編成替えを繰り返し、 '71.1.16まで確認していますが、'72.5.27には不明です。
その後、1111〜1035の7連で神戸線に所属しています。 '77.4,14木より宝塚線に転入していますので、 「7月28日」に焦点を当ててみますと、 '72〜'76 のいずれかと考えられます。
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[7] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/01(Wed) 17:05 No.375 | |
1111Fの7連は、 1111-1161-1141-1191+1034-1051-1035 となっていました。
その後、'82.7.16水まで宝塚本線で使用をみていますが、 同7.30金に1111が、同8.3火に1034がそれぞれ4連で箕面線 使用され始めます。 冷房改造されていなかった編成だったからかもしれません。
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[8] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/03(Fri) 05:50 No.376 | |
神戸本線は冷房化100%を達成した阪神との対抗上、82年頃には全車が冷房化されましたが、 宝塚本線は同じ頃1000系列、2100系、3000、3100系の非冷房車が走っておりましたね。 京都本線は3300系が非冷房車として走っていました。
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[9] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/03(Fri) 16:40 No.377 | |
神戸線、京都線は常に他社との競争の歴史ですね。 発祥の路線である宝塚線はどうしても後手に回る所以ですね。
>>7直後 '82.8.13金に朝の全34運用を見ています。 1012 1108 1113 1114 1115 1116 2150 2156 2161 3052 3060 3068 3070 3150 3152 3154 3156 3158 3160 5100 5102 5106 5108 5128 5136 5140 5146 6000 6001 6002 6003 6004 6005 6006 6007 6008 7002 7005 の38編成がいて、当日朝 1114 3060 5136 6008 が 不使用でした。 3154Fが冷房改造されていたか不詳なんですが、一応 冷改済と考えますと、非冷房編成は、 1012 1116 2150 2156 2161 の5編成ですね。 冷房化率は86%ということになります。 1012F 1116F が最後の活躍をしていたんですね。
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[10] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/04(Sat) 21:35 No.378 | |
3154Fは、昭和60年頃まで非冷房車として残っていましたね。 冷房改造の際に、2030を外して2171に交換し、2030は、2100系 の能勢電転出最終編成に組み込まれて、1585になっています。
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[11] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/04(Sat) 22:26 No.379 | |
3154編成は3000,3100系最後の冷改車でクーラ直下の四角いグリルからも風が出てました。最近廃車になったそうです。
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[12] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/05(Sun) 07:17 No.380 | |
3154だけでなく3054も改造は遅かったですね。 3054-2079と運転台が連発になっているのが好きでした。 表示・冷房の改造を受けると2079は3両目に移動してしまいました。
数週間前に3154が京都線を正雀方向に走って行くのを見ましたが、 先週は阪急全体で初の表示改造車となった3152が京都線で走るのを見ました。 3154は平成7年の秋に7両で西宮に行く姿も京都線内で見ています。
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[13] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/05(Sun) 07:36 No.381 | |
10日ほど前に人生で5回目くらいとなる能勢電に乗ったのですが、久しぶりに 「ナニワ工機 昭和35年」のプレートを見ました。阪急時代の車番は一々覚えて いないのですが、1734が2000だったことは記憶しているので撮影しました。
2代目2050だった1754は昭和36年になっていますね。初代のに取り替えられて いるのかと思っていました。旧2154で現在は1754で下二桁が共通するので、 これも印象深く覚えていました。
1551編成内の1581は昭和35年だったので調べてみたら、元初代2055でした。 当日は元この車両を含んでいた1753と1551が交互に日生中央に現れていました。
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[14] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/05(Sun) 17:12 No.382 | |
ウィキペディア「阪急2000系電車」の能勢電での編成表は、引退した編成についても背景色を灰色にして掲載を続け、 過去のことも分かるようになっていたのに、誰かが編集して消してしまったから旧番号が分からんようになってしまったな
2150-2100-2151-2101 → 1550-1530-1580-1500・・・1530-1580は前後を入れ替えて1560-1510に 2152-2102-2055-2103 → 1551-1531-1581-1501・・・2055は初代 2158-2109-2160-2108 → 1552-1532-1582-1502 2156-2106-2157-2107 → 1553-1533-1583-1503 2159-2111-2059-2110 → 1554-1534-1584-1504・・・1534は客室延長。2059は初代 2161-2104-2030-2105 → 1555-1535-1585-1505・・・1535は客室延長。当該部分は初代2050から移植
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[15] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/05(Sun) 17:13 No.383 | |
1700系も全編成を掲載
2092-2004-2061-2003 → 1750-1730-1780-1700・・・2092は元2162 2058-2008-2063-2044 → 1751-1731-1781-1701・・・2044は元2114 2067-2006-2057-2017 → 1752-1732-1782-1702 2054-2042-2053-2005 → 1753-1733-1783-1703・・・2042は元2112 2050-2000-2051-2014 → 1754-1734-1784-1704・・・2050は2代目。元2154 2062-2012-2177-2013 → 1755-1735-1785-1705 2068-2018-2187-2019 → 1756-1736-1786-1706 2070-2002-2078-2020 → 1757-1737-1787-1707 2064-2010-2072-2011 → 1758-1738-1788-1708
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[16] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/05(Sun) 19:24 No.384 | |
3154Fに続いて3152Fも廃車!? 2CHの現役スレでは「祝」の表現も。
登場時から知っている者にとっては、 わが身を削られるような思いです。
両編成とも50年51年選手ですが、 何とも寂しい限りです。
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[17] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/06(Mon) 05:29 No.385 | |
現役スレなんぞ見てたら精神的に参りますわ この板かなつかしのスレだけ見て大人の会話(年齢云々じゃない)をしていればいいと思いますよ
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[18] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/06(Mon) 21:38 No.386 | |
3152Fが廃車になる事によって、車掌台側の運転台仕切りに窓 が無い車両も、姿を消してしまいましたね・・・
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[19] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/07(Tue) 07:21 No.387 | |
2300系の編成途中の運転台残存車(2316、18、67、69)には窓が はめられていたのに、2800系とかは最後まで窓無しのままでしたね。
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[20] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/07(Tue) 08:08 No.388 | |
阪急現有車の話になってしまいますが、阪急の公式HPに「5100系」と入れて検索すると、 2009年度に8両1本が大規模更新されたと書かれていますね。何番だったのでしょうか?
5100系に関しては、2000年頃(もっと後の時代だったかも)に「機器の更新をする」と いうようなことを聞いた覚えがあったので、車体よりも機器に重点を置いた工事だったの かなと思い返しています。
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[21] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/07(Tue) 09:04 No.389 | |
>>17 温かいお言葉をありがとうございます。 このスレならでは、と励まされます。
ところで、今津(北)線で3000系より3100系が 先に廃車対象になる理由は何なのでしょうか。 モーター出力の差などは問題にならないでしょうし、 3100系は宝塚線走行が長かった分、疲労度も逆に少ないと 思うのですが。
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[22] | 投稿者:長くてゴメン 投稿日:2016/06/07(Tue) 18:36 No.390 | |
どうもです。 阪急に限らず現代車スレは“次期廃車予想(期待)スレ”のようになっていて、見ても気分が 悪いので自分は3年ほど前を最後に一切見なくなりました。長年活躍してくれた車両に対して ねぎらいの言葉もなく、さっさと消えてなくなれば良いとするような書き込みは見たくない からです。そんな投稿をしているのに鉄道趣味をやっている人のことを不思議に感じます。
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[23] | 投稿者:続きです 投稿日:2016/06/07(Tue) 18:38 No.391 | |
一般の通勤電車で50何年を経ても“接客設備”としてこれほど見劣りしないのは、阪急や能勢 電などわずかしかないように思います。2000系で確立されたデザインが素晴らしすぎるから でしょうか。昔なら阪急や能勢電でも、一般の人がご覧になって明らかに見た目が古いとか 接客レベルに格差があるとか、場合によっては若いのに古く見えるという電車がいました。
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[24] | 投稿者:その3 投稿日:2016/06/07(Tue) 18:40 No.392 | |
私が快く思わない書き込みをする人々は、3000系などは年齢を重ねてはいるけど、今の時代 でも通用する良い電車であるということが分からないのですかね。同年代でも先に過去形に なった車両たちは、現役を継続する上で不都合が多くなって来たから現役を退いた訳です。 同じ阪急の昭和39年生まれでも、2800系の廃車第一陣は28年も前に解体されています。
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[25] | 投稿者:もう少しお付き合いください 投稿日:2016/06/07(Tue) 18:43 No.393 | |
そんな中で3000系などは生き延びて来た訳です。生物の世界でも強いものではなく、環境の 変化に適応できるものが生存競争に勝つのと同じです。しかし、彼らが車両の善し悪しを判 断する基準はほぼ車齢だけですから、上記したようなことを言っても理解できません(他社 では廃車になったような年代の車両をいつまでも使うんだ、アボーンしろ・・・など)。
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[26] | 投稿者:思っていることをぶちまけました 投稿日:2016/06/07(Tue) 18:47 No.394 | |
もちろん、その3000系も外観や内観を始め接客設備としては今なお優れていても、維持して 行くには不都合が多くなって来たので数を減らしつつあるのだと自分は考えています。
ただし、FS345系の金属バネ台車は、今から40年ほど前の時代に改悪されてしまったことと、 その後の時代において軌道の手入れが昔ほど入念ではなくなったことは悔やまれます。
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[27] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/07(Tue) 18:49 No.395 | |
>>21さんの後段に対する自分なりのレスとしては、本線では25年前後しか走っていない 非表示車が先に廃車されていますし、総合的な判断なのではないかと思いますね。
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[28] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/07(Tue) 21:43 No.396 | |
私も2chで3000系を全廃しろとの書き込みを見た時は気分悪かったです。
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[29] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/09(Thu) 06:43 No.397 | |
そういう人たちは好き放題書かせておけばいいです。 他の人が嫌な思いをするという意識がないんでしょう。
車掌台側の窓ですが、宝塚本線で2+2+2+2などで運用されていた 1010・1100系は、支線転用を見越して4・5号車については運転台が 残っていましたが、窓も設置されていたように思います。
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[30] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/09(Thu) 21:42 No.398 | |
1010・1100系は、冷房改造車には、車掌台側に窓が付けられて いた様な記憶があります。
非冷房車には、あまり乗車の機会がなかったのですが、車体 整備を受けたグループには、窓が付いていたかも知れません。
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[31] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/10(Fri) 16:45 No.399 | |
>>18 「車掌台側の窓」というのは、ガラスが設置されたという意味 なのでしょうか? 3152Fは'82(S57).2.17から冷改・方向幕改造終え営業開始して いますが、その当時は中間の運転台部分は、まだガラス化され なかったということでしょうか。
>>30 冷改されなかった1192〜1116(8)は'81.1.24から車外向けマイク改造終え営業開始しています。 冷改は見送られても、サービス向上対策は施されていたという ことですね。
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[32] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/10(Fri) 20:44 No.400 | |
2000シリーズは当初から車外スピーカが搭載されていましたが、実際に使用されたのは 全車両に車外スピーカが搭載されてからで、非冷房時代の屋上モニタ内のものは使用されずじまい。 車掌の扱いを統一するのはわかるが宝の持ち腐れでしたね。
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[33] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/11(Sat) 08:44 No.402 | |
>>31 最後まで非冷房で残ったグループは、軒並み修繕工事は受けて おり、車内の木目板の交換や、車外スピーカーの設置、一部 床下機器の交換をされていましたね。
最終編成となった1020Fは、1148を除いて空気バネ車でした し、車体も綺麗な状態で引退してゆきました。
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[34] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/11(Sat) 11:34 No.403 | |
>>33 1020-1021-1148+1018-1056-1019 でしたね。 私は宝塚線沿線でしたので、 1020-1021-1147-1192+1018-1056-1019 の記憶が鮮明です。 いつの間にか1117-1167-1148と入れ替わりました。 昇圧改造で固定化された後の唯一の編成替えだったような。
今津線には、1030(1157) 1112(1023)の6連も いたようです。 1030Fは冷改された記憶があります。 1030-1031は、MM'ユニットで唯一の冷改だったのでは?
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[35] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/12(Sun) 11:54 No.404 | |
神宝1000系列の冷房改造で唯一今津線向けに改造されたのが 1030×6だったのではないでしょうか?
他はすべて宝塚本線向けの8両編成ばっかだったと思います。
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[36] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/13(Mon) 11:09 No.405 | |
1030Fの1106(4)と1026(4)は最後は箕面線で使用され、 '89(H1)には8連で「お別れ運転」したんですね。
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[37] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/13(Mon) 22:43 No.406 | |
>>35 1031は、1010系M'c車唯一の冷房改造車でしたね。冷房改造を 受けて出場したのは昭和52年の夏でしたが、今津線に冷房車を 定期運用させる為の冷房化ではなかったかと思います。
1157は、運転台の窓枠が、他の車両と違って塗装されていた ので、前から見た印象が良かった記憶があります。晩年には 1106-1156-1107-1157と1032-1033-1036-1037が交換されて、 そのまま廃車→能勢電譲渡されてゆきました。
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[38] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/14(Tue) 12:10 No.407 | |
1000系列の冷房改造車は改造時期によって形態が異なりますね。 冷房改造車では1113の編成のみ運転台撤去車の乗務員用扉が存置されていたのでしょうか。
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[39] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/14(Tue) 20:33 No.408 | |
1113編成の冷改では旧運転台、窓枠塗装、内張板木目印刷も更新無しで施工されています。
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[40] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/14(Tue) 21:59 No.409 | |
1300系は、冷房改造時に運転台こそ撤去されていませんが、 窓枠や車内の化粧板は、更新されずに出場していますね。
1113Fは、1010・1100系最初の冷房改造車で、昭和51年6月の 出場ですが、その2ヶ月後の8月に出場した1110Fからは、窓枠 無塗装化・運転台撤去部の整備などを受けているので、この 2編成の工事中に工事内容の変更があったのかも知れませんね。
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[41] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 07:43 No.410 | |
1000シリーズでは1300系が初めて冷房改造を受けましたね。 1300系の編成途中の前照灯はシールドビーム化されていませんでした。 嵐山線に行った時に交換したと思われます。
1010・1100系の工事内容の変更に付いては「阪急沿線」でも紹介されていましたね。 乗務員室のドアを埋め立てた車両同士が顔を突き合わせている写真付きです。
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[42] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 09:45 No.411 | |
>>40 1113Fは、'75.12.11木朝 準急3番目まで走って入場、 '76. 6.12土朝 大豊4番目から営業再開、 1110Fは、'76. 3.16火朝 準急3番目まで走って入場、 '76. 9. 1水夕 準急5番目から営業開始しています。 いずれも沿線での私的な確認です。
3か月ほど同時に入場していますが、その途中で内容が変更 されたことになりますね。
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[43] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 10:28 No.412 | |
冷房改造って半年くらい掛かりますもんね 改造に1500万円/両ほど必要だったと聞いています
昭和50年代後半になると3000・3100系、3300系が冷房改造に加えて 表示改造も施されて出て来たのでビックリしました
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[44] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 15:23 No.413 | |
[45] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 15:58 No.414 | |
「一足先に」なんて書き方をしているので3000系の行く末も案じてしまいます。 自問自答ですが、3651は3052の編成に入っておりました。
廃車を補う新車が入っていないと言うことは、少子高齢化などによる利用者の 減少が響いているのでしょう。
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[46] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/15(Wed) 16:20 No.415 | |
[47] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/16(Thu) 06:33 No.417 | |
3156F、3161F、3651を除く32両が引退するのに4年掛かった訳ですが、 そのうちの半数に当たる16両が今の一時期に引退して行くのですね
2100、3100系の先輩である1100系は昭和31年製で59年から廃車が開始 されたので、今で言えば8000系が去るような感じだったことになりますね
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[48] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/17(Fri) 08:43 No.418 | |
>>46
3150Fも引退ですか! もう少し残してほしいです。 なぜそんなに廃車を急ぐのでしょうか。
6月17日からマーク掲出とありますが、 先頭の車番が見えなくなり、さらに寂しい気がします。
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[49] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/17(Fri) 09:42 No.419 | |
京阪では昭和34年生まれの2000系を改造した2600系(新車扱い)や 昭和39年生まれの2200系が本線でも活躍を続けていますからね。 3月に大和田〜<普通>〜守口市〜<優等>〜淀屋橋で2200系に乗りました。
表示車にHMを付けると車番が隠れるというデメリットがありますよね。 6350登場時のような装飾じゃ無理なんでしょうかね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%80%A56300%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
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[50] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/18(Sat) 09:29 No.425 | |
神宝線は92年の8020や8008を最後に、2006年の9000まで14年間も基本編成の 製造は途絶えていました(増結車8030、8040、8200の製造は97年までです)。
92年は編成単位での2000系の運用が終了した年であり、5200系の“前期廃車”が 終了した年です。また同じ年に能勢電610系も姿を消しました。
このあとは震災によるものと能勢電への譲渡を除くと、97年の5203×6の廃車 (2881、2887含む)、00年1月18日付けで14両の廃車=5200系の残る2編成 (2091、2052含む)と2088、3161×3の廃車があり、21世紀になってからは 5000系のリニューアルや3000系の短編成化によって2000系列35両が少しずつ 減少して行くという状態が続いていました。この2000系列の廃車は結果的には 14年掛かったので、1年に2.5両のペースで消えて行った計算です。2008年には 3000系として初めて3072×6も廃車されました。
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[51] | 投稿者:名無し 投稿日:2016/06/18(Sat) 09:34 No.427 | |
3000系は2011年から、3100系は2012年から本格化しました。つまり、試作車 だった5200系を除くと、編成単位で尚且つまとまった数の車両が姿を消して行く のはおよそ20年ぶりのことです。しかも編成単位の2000系は多くが能勢電に行き ましたので、実際は1010・1100系の廃車まで遡ることになり、かなり久しぶりに 「思い入れのある先頭車や編成」が「数多く」消える経験をすることになったので、 よりショックに思うのかも知れません。
更に能勢電を含め2000・3000系列がまだまだ程度在籍している中で、5100系の 先頭車3両が長期休車を経て廃車されたり、リニューアルされたT車まで余剰廃車 されることになったので、余計に複雑な感情を持ってしまいます。
どの車両も他社に比べてずっと長い間活躍してくれた訳ですが、だからといって もう充分だという想いは芽生えず、逆に長かった分だけ想いも大きくなってしま い、名残惜しくなるように思います。自分の場合はそんな感じですね。
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