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スレッド表示 - No. 215 -

【1010系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2000系】別室Part2-5

[1]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/17(Tue) 17:50 No.215  
新スレを立てました。
ご利用ください。
[2]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/19(Thu) 10:06 No.217  
>>51 前スレ 
朝 15分+αヘッド 5編成時代は・・・
箕面発1本目は、前日(夕方準急4本目)からの滞泊編成、梅田まで1往復半して雲花行き準急で入庫、
箕面発2,3本目は、石橋始発下り箕面線内から営業、梅田まで1往復半して雲花行準急で入庫、
箕面発4本目は、石橋始発下り箕面線内から営業、梅田まで片道のみの後雲花行準急で入庫、
箕面発5本目は、雲花から上り普通、梅田から下り1番の箕面行準急、
箕面発5本目〜8本目は、梅田から下り雲花行き準急となって入庫していました。
その後、8本目は梅田から回送扱いに変わり、さらに後に上り準急が梅田で種別変更となり、箕面発の準急自体がダイヤ上ぼやけていきます。
今の日生エクスのような感じだったのですね。

夕方は、出庫で雲花発準急が5本運転されていました。
以前に池田発だった流れをくむものでした。


[3]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/27(Fri) 20:55 No.218  
昔は線路や駅などの敷地境界などに、黒く炭化された木材が
並んで針金でくくられていましたっけ。
あれは線路の枕木だったものの再利用だったのでしょうか。
[4]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/28(Sat) 05:12 No.219  
枕木の廃物利用でしょうね。
レールがホームの屋根を支える柱や踏切の囲いになったりもしますし、
碓氷峠のラックレールも側溝の蓋などに転用されています。

Wikipediaの「北大阪電気鉄道1形電車」の項目には以前から
>1936年製作の日独合作映画『新しき土』では、スタジオに近く撮影に便利な
>鳥居本駅がロケ地に選ばれ、ヒロインの光子役を演じる原節子が4号に乗るシ
>ーンが映し出されている。
という記事がありますね。
[5]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/29(Sun) 16:37 No.220  
コンクリート枕「木」になっても、ジョイントやポイント部分では、
木製の枕「木」が残っているのですね。
[6]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/29(Sun) 20:26 No.221  
最近は分岐器や無道床橋梁などは合成マクラギが増えてますよ。
昔はR400以下の曲線は木マクラギでしたが最近は大部分がPCマクラギ化されていますね。
[7]投稿者:名無し 投稿日:2015/11/30(Mon) 10:02 No.222  
>>8
そうなんですね。どんどん人工物化が進んでいるのですね。

枕木は何年かに一度交換する必要があったはずです。
そのたびにレールも外していたんでしょうかね。

砂利も貨物の運行標識板を掲出した4209や4210が
運んできて、ジャーっと降ろして去っていきました。
[8]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/01(Tue) 06:25 No.223  
阪急の車両も何度も対面している山陽須磨(以前は電鉄須磨)の
木造の信号所が取り壊しになるそうです・・・残念ですね。

また阪急のマルーンの車両が須磨の海岸を横目に走る日が来ると
いいです。西代や板宿の街中を3社が走る姿も良かったです。
[9]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/02(Wed) 14:11 No.224  
>>2
'74.12.2(月) のメモです。
朝箕面発 順に 1114 1108 2081 2087 3062
夕方梅田発 準に 2161 5136 3158 818 5102
すべて8連です。
[10]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/07(Mon) 18:00 No.225  
>>9
このメモは'74.9.2(月)のものでした。
申し訳ありません。
しかし、ご指摘いただける年代の方もおられないようで。

1年後の'75.12.6(土)の担当は、
朝箕面発 順に 5106 1114 1100 5100 2161
夕方梅田発 順に 5106 2087 3054 1201 2084

夕方の4番目の1201Fなどは、混雑度合が減っていた
土曜日の限定運用だったようです。
[11]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/15(Tue) 17:47 No.226  
準急のお話、有り難うございます
だから緑の文字にしました。

準急の標識板は中間駅発着と起終点駅発着(梅田は除く)で、
上が白地に緑で下が緑地に白かその逆パターンがありました。
縦書きの準急やもみじ準急もありましたね。

>>9
その日は818が走っていたのですね。70年代の810系(814系なども含む)の
主たる活躍の場は宝塚本線ですね。回送を除いて810系が神戸本線を走って
いるのを見たことがありません。
[12]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/16(Wed) 08:40 No.227  
そうですね。阪急では準急は「緑」ですね。

私は'81(S56).3.1の運行標識板変更以前のものが印象に残っています。
それまでは>11氏のおっしゃるところの「縦書き」で、準急文字は丸型中央で赤字、
左右に大阪、箕面など黒字を緑の背景色で表示されていました。
[13]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/17(Thu) 09:07 No.228  
'74.9 当時宝塚線では、814F 818Fの8連2編成が走っています。814は例の標識板受けが下方にあって異彩を放った車両です。
1201Fとともに1100系とほぼ共通運用されて活躍しています。

'74.10.8(火)からは810Fも営業開始、本線に8連が3本整然と走っています。
しかし、この状態は長続きせず、同11.26(火)朝の曽根発2番目を最後に
818Fが不明になっています。
[14]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/18(Fri) 07:03 No.229  
3桁の車両と2000系以降が共演していた時代が一番面白かった。特に本線で。
旧1000系列もデザイン的には昔の流れを汲むので、2000系以降との共演はそこそこ面白かった。
[15]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/18(Fri) 21:57 No.230  
>>13
810系のうち、810Fを除く各車が今津線に移動したのは、この頃でしょうか?

818Fは、長らく先頭車で走っていて、馴染み深かったのですが、
更新の際に運転台を撤去され、それを始めて見たときには
ちょっと残念でした。
[16]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/19(Sat) 09:51 No.231  
>>15
そうですね。

'75.3頃から814Fも宝塚線から姿を消し、
'75.10には、810F(8)宝塚線 816(2)と817(2)は甲陽線 818(4)と820(4)は今津線、
しかし、814(4)は正雀工場(所属線不詳)とメモしています。
'76.10には、814(4)も今津線だったようです。

'77.10には、今津線が6連化されていたようで、
814-864-815-865+821-871
820-870+818-868-819-869
810-860+812-862-813-863
となり、817(2)は甲陽線、811(2)は不詳でした。
[17]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/26(Sat) 17:34 No.232  
>>15
818号の中間化について、
'79-10 には、
817-867+818-868-819-869
とメモしていますが、'80-10 には、
817-867-818-868-819-869
と表示しています。
長年顔を出していた867号、818号とが
中間化されていたのですね。
[18]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/29(Tue) 09:00 No.233  
'80.10時点で今津線用と思われる6連は、
1020 1030 1112 1201 1206 1203 814 817 820
また伊丹線用と思われる4連は、
1012 1016 810 812 947
などをメモっています。

947Fは、947+804-934-854
という変則編成だったようです。
痛々しいですね。
[19]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/30(Wed) 09:47 No.234  
大阪向き運転台3連発・・・エースカーか気動車みたいだ
[20]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/31(Thu) 09:26 No.235  
934号は近代化の際に中間化されていました。
しかし、947Fのそれぞれの車間通路はどんな状態だったのでしょうかね。
[21]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/31(Thu) 11:25 No.236  
1形で使われたアダプタも2000系列で使われたアダプタも互換性はあるのでしょうか?
多少は寸法の違いがあるのでしょうか?

能勢電では狭い幌枠に広い幌を受け付けるアダプタがありますが、
広い幌枠に狭い幌を受け付けるアダプタを裏返しにすれば使えるのでしょうか?
[22]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/31(Thu) 12:16 No.237  
お昼のNHKニュース(Tv)で、なつかしい
3058Fの映像が流れていました。
大晦日終夜運転の関連でした。
[23]投稿者:名無し 投稿日:2015/12/31(Thu) 15:52 No.238  
塗装変更前の阪神赤胴車や西207系なんかも映ってました
昔に撮ったのを使い回しているんでしょう
京阪は今の塗装だったけど
MBS「魔法のレストラン」も京都線特集の時には60系が登場します
[24]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/02(Sat) 07:25 No.239  
新幹線300系も未だにニュース映像で登場することがあります(過去を振り返るものは除く)。
この時期、たこ昌のCMに出てくる新幹線のアニメーションは700系列に変わりました。
[25]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/05(Tue) 14:15 No.240  
ドラマ等で使われる走行音も、釣り掛け車音はなくなりましたね。
というか、音源は残されているのでしょうか。
都市部ではジョイント音も聞こえず、シューシューという
ロングレールのスラブ軌道を走行する音が多くなりました。
[26]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/10(Sun) 08:46 No.241  
BK制作のかつての朝ドラで、ニュートラムの走行音が普通の電車と同じだったと、あるスレに書かれていたw

[27]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/11(Mon) 09:24 No.242  
今日は「成人の日」、昔は15日が成人の日でした。

宝塚線では15分ヘッド時代、元旦から3日間は臨時急行が運転され、
その後の平日も1月中旬あたりまで、日中の急行は相当混雑していました。
中山、清荒神、売布神社などへの参拝客が多かったのでしょう。
[28]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/12(Tue) 07:49 No.243  
臨時急行も走っていたのですね
臨時特急ならば知っていますが
[29]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/12(Tue) 11:22 No.244  
臨時特急を運転する以前ですね。
臨急の方が停車駅を考慮する必要がなく、
宝塚線にはなじんでいたと思います。
[30]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/15(Fri) 14:50 No.245  
>>27
いつ頃までだったか、当時祝祭日には車端部の通路上方に
日の丸と阪急の小旗が交差して掲出されていました。
そこに「旗受」があったのですね。
2000,2100系以前ぐらいだったのでしょうかね。
[31]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/16(Sat) 09:05 No.246  
1992年に貫通路上に路線図や広告を入れるための枠を取り付けたので、旗を立てる台は
撤去されました。ちょうど社紋やHマークが今のマークに変わりつつあった頃です。

この少し前に、妻面右上部に横長の注意喚起の枠(一部シール貼り)を設置した関係で、
ワンハンドル車も車内の車番プレートが貫通路ドアの真上に移動しました。それまでは
妻面右上部に設置されていました。

続いて、上述の枠を設置したために、全車種の車番プレートが妻面右上部に移動しました。
この際にすべて両面テープか接着剤かで取り付ける方式に変更され、ねじ式のプレートは
淘汰されています。従って独特の字体の数字は見られなくなりました。なぜか取り替える
必要がないプレートも一部が新品に取り替えられています。
[32]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/16(Sat) 17:42 No.247  
>>31
ずっと車端部中央にナンバーが表示されていました。
2000や2300ではその下?にローレル賞プレートが誇らしげに掲出されていました。
あれは第一編成の特定の車両だけだったのでしょうかね・・。
[33]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/16(Sat) 20:50 No.248  
使用されなくなった旧社紋やHマーク、日の丸と阪急の小旗はレイルウェイフェスで販売されたので社紋は2個その他は1個入しました。
確か旧社紋と旗が200円やったと思います。
Hマークは8005号車のものでしたが3000円でした。6000系などの大きいものは6000円。昨今の価格と比べると非常に安かったですね。
[34]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/17(Sun) 06:38 No.249  
2ハンドル車のプレートは元々貫通路の上にありました。それが現在の場所に移動しました。
1ハンドル車のプレートは元々現在の場所に設置されていて、それが一旦貫通路の上に移動し、また同じ場所に戻ってきました。

ローレル賞のプレートがあるのは2050や2301の編成だけでしょう。
能勢電1754の編成にもプレートは残っているんでしょうか。
特に1754は2代目ですが、2代目2050として走っていた頃はどうだったのでしょうか?
[35]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/17(Sun) 11:14 No.250  
能勢電1754号は旧2050(2代目)号でしょうか。
この車両は元2154号で、私は宝塚線時代を思い出します。
6連時代に、2154-2104-2155-2105+2151-2101
という編成で梅田側先頭に立ち活躍しました。

夜のラッシュ時に下り急行を担当した際、2104号のモーター異常で
大きな音を立てて走行、当時十三から石橋まで停まらなかったため、
乗客から抗議が出たと報道されたのを思い出します。
[36]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/21(Thu) 21:58 No.251  
昨日、十三駅の1号線で通勤特急を待っていたら先に各停の6050Fが入線して来ました。
ワンハンドル40周年で側面にHマークと以前の社紋が付けられているのですね。
社紋は銀色になっており往事と同じようになっていました。
(昨年の2313Fは白塗り)
Hマークを見たときは何とも言えない感情がこみ上げて来ました。
このマークは1975年に登場したものなので歴史は浅く、
しかもたった17年で終わったものですが(現行マークは23年以上経過しています)、
自分が「阪急電車」に熱中していた時代を思い出させてくれました。
[37]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/22(Fri) 11:10 No.252  
社紋というのは京阪神急行時代のものでしょうか。
たしか大阪市他の市紋を寄せ集めたものだったんですね。
[38]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/23(Sat) 08:14 No.253  
大阪と神戸の市章を合わせたものに、
京都の「京」の字を図案化したデザインが組み合わされています。
[39]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/23(Sat) 09:29 No.254  
>>35
6連の2154Fは、S42.11.7に
2161-2111+2159-2110+2154-2104-2105
と7連化します。
2155号は、同11.22に
3064-3507-3014+3065-2155-3508-3015
となり、途中で8連化はしましたが、
昨年まで?でしたっけ、なんと48年間も
このまま走ったことになりますね。
[40]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/23(Sat) 13:36 No.255  
初代2155=後の二代目2059は2000年の秋に編成から離脱し、元5010編成の2090に
差し替えられました。3064編成には元相方の2190が入っていました。3064編成の引
退は2014年の夏だったかと思います。2059は2073、2077、2183と共に2002年の
夏に解体されました。表示改造&転落防止装置付き車両では初の廃車でした。
[41]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/23(Sat) 13:45 No.256  
>>40
ご指摘ありがとうございます。

二代目2059は状態が良くなかったのでしょうかね。
2000年秋に離脱であれば、33年間3065のユニットで
走ったことになりますね。

また2154号(二代目2050号)は、>>39の後は2050を引き受けるまで
先頭に出ることはなかったと思います。
[42]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/23(Sat) 14:39 No.257  
2059は最後までアルストム台車だったと思います。1000系列から転用した
ものではなく、製造時からの台車だったかと思います。2100系に由来する
2055や2093がその後も走り続けたことを考えると、台車に理由があったの
かもしれません。
[43]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/25(Mon) 10:22 No.258  
2059(元2155)はFS33だったはずですね。
2055(元2153?)も同じはずですね。
この2両はFS345 45の3000系のユニットに入って
長年走ったのですね。

2093(元2163)はFS45でしたね。
この2162Fの6両は数奇な運命をたどりました。
(過去スレで多数既出の通りです。)
[44]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/25(Mon) 17:18 No.259  
間違っていたらごめんなさいですが、
2055はミンデンドイツに変更されていたような気がします。

2162Fのように3本線すべてで旅客運用に就いているというのは、
数少ないですね。エキスポ直通など十三を跨ぐ運用以外では、
万博輸送での京都線への貸し出し(京都線というよりも千里線ですが)、
冷房車の均等配置が考慮されていた時代くらいになりますかね。
[45]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/26(Tue) 07:03 No.260  
このページをご覧下さい
js3vxw-02.cocolog-nifty.com/photos/hankyu_2000_t/hankyu_3005f_7.html

2055の台車は3000系と同じになっていますね

5000系に編入された元エコノミカル12両の最終形態も記憶がおぼろげになってきました
5000F=2184、2085、2083・・・すべてミンデン
5001F=2081、2183・・・・・・前者アルストム、後者ミンデン
5002F=2181、2082、2182・・・すべてアルストム
それ以外はすべてミンデンか??
[46]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/26(Tue) 12:49 No.261  
初代の2053,2055はどうなったのでしたか?
能勢電に転出したのでしたか?
[47]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/27(Wed) 06:30 No.262  
2053は3060編成に編入されていましたが、2188に押し出されて能勢電1700系に。
初代2055や初代2059は各々2100系に挟まった状態で能勢電に移籍して1500系になりました。
阪急に残った2153と2155は二代目の2055と2059に整理されて2100系は消滅したのです。
[48]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/27(Wed) 09:11 No.263  
ありがとうございます。

それぞれの経歴があるのですね。
能勢電で現役の車両があれば、55年選手もいるのでしょうか。
[49]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/27(Wed) 11:47 No.264  
1754の4連は2050(旧2154)-2000-2051-2014なので中間の2両が昭和35年生まれで
実働は55年を超えています。新系列高性能電車の本当に最初の電車ってことになります。

2301が嵐山線で引退したのは2005年の秋=45才の時で、その際は非表示幕で嵐山線に
20年近く閉じ込められていたこともあってか、かなり年配の車両に思えましたが、今年
で45年を迎える5100系が今も本線で走ったり、それより先輩が元気なのを見るとまだ
若かったのかなって思います。
[50]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/28(Thu) 16:47 No.266  
そうですか。1754Fは貴重な編成ですね。

こうなっては、阪急線内の3000系を何としても
温存しなければなりませんね。
3050 3052 3054 3056 3060 3062 3066
3074 3076 3078 3083
の各編成が残っているのでしょうか。

[51]投稿者:名無し 投稿日:2016/01/29(Fri) 05:43 No.267  
現代の話は詳しくありません。過去専門ですw76は引退したかもです。
年数を重ねた形式が去ってしまうのもやむを得ないことではあります。

3000、3100系は震災で損傷を受けた初代3109と2000年に引退した3161の
3連を除くと、2008年まで全車健在でした。そして本格的に廃車が始まった
のは2011年からだと思います。それまでは神宝本線では大役を果たしていました。
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