【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-3
[1] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/26(Wed) 11:49 No.114 | |
新スレに移行
今朝の「人間国宝」でこの映像の26分50秒過ぎに出てくるプールの経営者だった人の お孫さんという方が出ていた。大昔からこの辺の地主らしい(名字=地名)。 プールは93年で終了したとのこと。あの滑り台を見ると京都に来たという感じがした。
1984年03月撮影【前面展望】阪急京都線 特急京都河原町行き https://www.youtube.com/watch?v=_AefRNkEa_g
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[2] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/26(Wed) 11:55 No.115 | |
そしてプールの跡地付近に西山天王山駅が建設された。 高速道路なども建設された現在からすると、この辺りも変わってしまったようですな。
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[3] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/27(Thu) 19:50 No.116 | |
前スレ>>51氏
90年代に放送された万博を振り返る番組では、9/5の閉場後も残っていたのは4000~5000人と 言っていましたが1万人も残っていたのですね。会場周辺も含めればもっといたのかもしれません。
また梅田だけでなく新大阪や難波、天王寺などでも足止めを食らった人がいるかもしれません。
梅田の植え込みで子供連れでしゃがみ込んでいる女性へのインタビューでは「もう中央口では 電車出してくれないんですわ。梅田まで来たけど乗り物がなくて帰れないんです・・・腹立ち ますね」とか「普段は見えない星が見えて綺麗」とか、同じ状況に置かれている人でも怒って いる人と肯定的に捉える人がいて興味深く見ました。
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[4] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/28(Fri) 11:29 No.117 | |
'70.9.6未明に阪急線内では、神戸線と宝塚線でそれぞれ何本か特発されたようです。
私は宝塚線住民でしたが、18分遅れで最終が超満員の後、 十三午前1時過ぎ(817) 同1:45頃(928) 同2:30頃(944)の3本を 見ています。 ただし、その後上り回送(817)があり、もう1本運転されたのかもしれません。
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[5] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/29(Sat) 16:16 No.118 | |
現場の判断で予定になかった列車をいきなり走らせたのではなく、 あらかじめ想定した上で走らせたのでしょうかね?
閉幕一週間前の週末という戦場ぶりが分かります。 自分の身内もこの頃、夕方か夜に帰りの準急に乗ったようですが、 かなりの混雑だったと言っていました。
地下鉄梅田駅には「万博会場は大へん混雑しております 万国博協会」と 券売機に張り紙もなされていたようです。
こういう時代はもう来ないのでしょうね・・・
あと新幹線は走るパビリオン、新幹線もパビリオンの1つなんて言われました。 この出来事を切っ掛けに初めて新幹線に乗った関東、東海地方の人も多かった でしょう。一方、西日本各地からは客車列車などで時間を掛けて来阪した人も 多かったと思います。
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[6] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/08/31(Mon) 19:11 No.119 | |
まだまだ暑い時期に920系(中間には900系も?)に乗って 「未来の姿」万博を見て帰宅したのですね。
万博では、「アメリカ館の日」など各国のパビリオンが 中央ステージで演出する特設日がありましたね。
私は、アメリカやソ連館などは初めからあきらめて、 待ち時間の少ない国のパビリオンを見学したのを 思い出しました。
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[7] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/04(Fri) 07:58 No.120 | |
万博の頃の阪急電車は・・・
神宝線(支線を含む。阪急籍の能勢電は含まない) 600系 18両 920系 90両(900・800系を含む) 810系 26両 610系 36両 1000形 4両 1010系 86両(1100系を含む) 1200系 20両 2000系 42両 2021系 42両 2100系 30両 2300系 30両 3000系 114両 3100系 40両 5000系 47両 5200系 8両 −−−−−−−−−−− 合計 633両
うち3桁車は170両=27% 新系列高性能電車は353両=56%
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[8] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/04(Fri) 08:10 No.121 | |
京都線系
100系 78両 700系 15両 710系 14両 1300系 16両 1600系 12両 2300系 48両 2800系 49両 3300系 120両 −−−−−−−−−−− 合計 352両
うち3桁車は107両=30%(P6の1000番台を名乗る車両を含む) 新系列高性能電車は両=61%
京都線は運用上分離されているという意味で、実質的な支線が嵐山線しかないため、 本線・千里線で運用される3桁車の比率は神宝線よりも高かったものと思います。
60系の乗り入れや神宝線からの直通や応援を含めると上記の数や比率は異なりますが、 それでも相当数の人が3桁車を万博の際に利用していることになると思います。
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[9] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/04(Fri) 08:17 No.122 | |
210系を書き忘れたorz でも3両だけなので数字に大きな変化はないはずです・・・・
200系の廃車日は45年3月3日だったような??
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[10] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/05(Sat) 11:13 No.123 | |
当時、神宝線の600,900,920の一部、京都線のP-6を除くと 戦後生まれなんですね。 車両の形態や駆動方式から古めかしい感じの「3けた」車ですが、 製造後20年そこそこだったんですね。 今でいうと7000系や7300系より若く、8000系に相当する年齢だったのですね。
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[11] | 投稿者:名無しさん 投稿日:2015/09/05(Sat) 16:07 No.124 | |
今晩、小林一三のドラマがNHKで放送されますね。! 阪急百貨店(梅田)で行われている展示も見てきました。 月曜日までですのでお早めに!!
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[12] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/06(Sun) 07:27 No.125 | |
宝塚線のみ開通が予定され、計画線として宝塚から有馬や西宮、梅田から野江へ向かう路線が描かれている
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[13] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/06(Sun) 08:38 No.126 | |
なぜか565の大きな写真も展示してある 550形の最終製造車という扱いだけど、形状その他は500形そのものだろ 逆に違いはある?
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[14] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/06(Sun) 16:22 No.127 | |
>>10 600系やP6、900形はさすがに40年を超えていますが(各々44年、43年、40年)、 それ以外は920系も36年、710/810系はまだ20年、1000系列も1000形で16年、 量産車だと13~14年しか経っていませんね。
日本の鉄道車両は昭和30年代に技術面、デザイン面、接客面その他諸々で劇的に変化 したので、その前に作られた車両は若いのに老けて見えていたことになると思います。
一方でそれ以降の車両は使用年数は長くても、それほど古くは見えないということに なると思います。あくまで私見ですが、2000系由来のデザインは古くは見えません。
私が子供の頃は、年長の車両たちは本当に古く見えましたが(例えまだ若くても)、 今はそのようには思いません。阪急だけでなく他社でもそうです(旧客など)。
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[15] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/06(Sun) 16:50 No.128 | |
自分の身の回りの人もアメリカ館やソ連館には行っていないはずです。 すぐに入れる小さい国のパビリオンしか行っていないとのことでした。 国内館では三菱未来館が一番人気でしたが、当時から家にある資料を 見ると行っていない模様です。太陽の塔の中にも入っていません。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 先日、阪急百貨店に行きましたが、仕事の関係で閉店間際に行くことに なり、ドラマ関連の部門はしっかり見られましたが、小林一三ワールド の方は時間切れになって大急ぎで見ることになりました。多くのことは 知っている内容でしたけど、もう少しゆっくり見れたら良かったです。
阪急グループとしても創業者についての展覧会なのですから、もう少し 長く会期を設けてはいかがかと思いますね。池田文庫もありますが。
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[16] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/07(Mon) 08:54 No.129 | |
'70(S45)年は既出のように今年と同曜日でした。
前日の9.6(日)の混雑のためか、エキスポ準急に駆り出されていた 神戸線所属の2056Fと宝塚線所属の1112Fが入れ替わって帰線してしまい、 翌9.7(月)朝のみ使用して元にもどしています。
ちなみに2056Fは曽根発、1112Fは西北の朝ラッシュ時のみの運用を を担当しています。
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[17] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/08(Tue) 07:00 No.130 | |
編成単位の2000系の宝塚線運用はあまりないですよね。
エスコードガイドをしていたという方の話では、万博は会期を延長するのではないかという 話も出ていたそうです。しかし国際的な規約などもあって予定通り9月13日で終了しました。 北急に関しては高速道路になる土地を借りての営業ですからね。
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[18] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/08(Tue) 14:08 No.131 | |
編成単位の2000系の宝塚線運用があったのは2054x4が新製後宝塚線投入、2100系新製で神戸線に移籍。 宝塚線昇圧直前の1100系1500V単電圧化工事後神戸線へ投入で2000系が数編成宝塚線に移籍。昇圧後にまた元に戻ってます。 長期の運用は無いですね。(2021系は除く)
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[19] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/08(Tue) 17:50 No.132 | |
2021系はどちらかというと宝塚線使用がメインになってしまいましたね。 特に、2081F 2084F 2087Fは一生の大半を宝塚線で過ごし、 中でも2081F 2084Fは中間化・T化を除くと宝塚線のみだったのでは?
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[20] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/08(Tue) 19:05 No.133 | |
2081、2084編成は汽車エコノミカル台車装備だったので神戸線運用は無いですね。 2084x4の編成のKS66は元は2069x4の台車を転用したものです。 高速運転時WN駆動装置と台車の相性が悪く異常振動が発生したため、神戸線では電動車の汽車エコノミカル台車は使用されなくなってます。
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[21] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/09(Wed) 02:50 No.134 | |
中間化、T化されて初めて神戸線で「高速走行」したわけですが、 2021系は過渡期の車両だったんですね。 宝塚線で2100系より優先してよく急行を担当していました。
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[22] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/09(Wed) 22:51 No.135 | |
2021系は2100系よりパワーがあったからね、600V時代なので150kw主電動機も実質120kw程度の出力でしたが。 このあたりが宝塚線運用が多かった理由かも。 3000系が170kw(600Vで135kw程度)になったのも2021系の運用結果で出力アップしたのでしょう。
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[23] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/10(Thu) 20:38 No.136 | |
汽車エコノミカル台車と言えば、神戸線に来た2300系も、全車 FS-333かFS-345を履いた車両でしたね。
2021系がT車化されて転入してくるまで、エコノミカル台車を 使用した車両で神戸線に居たのは、1056くらいでしょうか?
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[24] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/10(Thu) 22:59 No.137 | |
>>22
2300系の汽車エコノミカル台車の車は高速運転でも問題はなかた。2300と同じ駆動装置(中空軸平行カルダン)の京阪では2000〜5000系まで大量に採用されている。 2000系のことがあったので神戸線側が嫌がったのかも。
>>23 1056のKS62Bだけですね。
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[25] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/11(Fri) 07:42 No.138 | |
>>23 2300系の空気バネ車を宝塚線に入れようと考えたという話を 聞いたことがあります。 結局実現しませんでしたが。
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[26] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/11(Fri) 07:47 No.139 | |
>>18-24 興味深いお話を有り難うございます。 2100系が誕生した頃の宝塚線には、すでに元神戸線車両など出力の高い形式もいました。
後年、能勢電という受け皿がなければ、2162〜のように出力増強されたり、2021系のように T化されていたのかもと思っております。
2021系のエコノミカル台車の車両12両はすべて5000系に編入され、神戸線の所属になりましたね。 空気バネで揃えるという意図があったのでしょう。これは2311Fに編入された2884でも言えます。
1010・1100系のエコノミカル台車の車両は1056だけなのでしょうか?
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[27] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/11(Fri) 07:53 No.140 | |
>>25 自分も初めて聞きました。 なぜ2300系を宝塚線に・・・という話が出てきたのでしょうか?
万博の頃の京都線・千里線には神宝線からも応援の車両が入っておりますが、 それならば2300系が神戸線に行く必要はあったのかと思います。2300系が 一時的に里帰りする直通運用もあったと前スレで出ましたね。
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[28] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/11(Fri) 18:22 No.141 | |
'70(S45)年の今日、9.11(金)には早くも、 各車両の万博のステッカー外し始める とメモしています。 扉の横に貼り付けられていましたが、外した後は うっすら跡形が残っていました。
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[29] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/11(Fri) 23:02 No.142 | |
>>26
1010・1100系のエコノミカル台車の車両は1056だけです。 1018-1019(FS320)+1020-1021(KS52)の空気バネ台車編成を5連化するにあたって 1300系1307x4で実用化されていたKS62Bを使用した。
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[30] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/12(Sat) 06:45 No.143 | |
>>28 寂しいですね・・・ 14日(月)の始発までには全てのステッカーがはがされたのでしょう。 梅田駅の装飾などもなくなったのでしょう。。。
その20年後の花博は会期終了が9月30日でしたが、9月の上旬頃には一部で撤去が 始まっておりました。十三の新北野方面から線路を眺めると、ステッカーのない ピカピカの車両が梅田に向かうのが見えました。暫くして折り返して来たのは、 登場して間もない8004編成でした。
>>29 有り難うございます。 それ以外の1010・1100・1300系はアルストム台車ばかりですよね? 1000形も1650形からの転用で全部アルストム化されました。 1002は日本初のアルストム台車でしたが、864形に転用されたかと思います。
アルストムは1984年の1000系列高性能車の廃車開始後、エコノミカル台車を 淘汰するために重用されているし、乗り心地も良かったです。
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[31] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/12(Sat) 12:00 No.144 | |
1002のFS305は872号車に転用されましたね。 アルストム台車の中でFS324系(1030,1108〜で採用)は外吊スイングハンガー,ボルスタアンカ装備,大きな1連枕バネとあって乗り心地が良く 2021,2071,2300系のエコノミカル台車淘汰にも使用されました。 今は4050形救援車の台車として残っています。
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[32] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/12(Sat) 20:18 No.145 | |
既出ですが、7連時代の1020Fは台車のオンパレードでしたね。
1020-1021-1147-1192+1018-1056-1019 という編成で'70当時神戸線と宝塚線を行ったり来たりしていました。 1147はFS324(A?) 1192はFS33 というバラエティぶりでした。
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[33] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/13(Sun) 07:57 No.146 | |
>>31-32 有り難うございます。 アルストム台車の中でも色々と種類があるのですね。金属バネと空気バネがあることくらいしか 知りませんでした。1000系列で採用されたものと2000系列で採用されたものは何となく違いが あるのは分かっていましたけど。
1030以降や1108以降は最初から3ドアで建造されたタイプで、1030や1108編成は能勢電にも 行っています。敢えて後期形の中から抽出されたのかもしれません。阪急で一番最後まで走った のは1編成若い1026と1106でしたね。
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[34] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/13(Sun) 08:07 No.147 | |
能勢電1500系はすべてアルストム、1700系はすべてミンデンドイツですけど、 両形式間での台車の交換もあったのでしょうか?1500系のミンデンドイツ車は 本来の台車のまま能勢電に行き、後に台車が交換されたものもあると聞きます。
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[35] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/13(Sun) 09:11 No.148 | |
連チャンで書いて申し訳ないです。 昨日、万博公園に行ってきたのですが、万博関連の乗車券が多数展示されており、非常に興味深かったです。 昭和44年12月6日の堺筋線「開通」&中央線「全通」の乗車券なども展示されていました。
京阪や近鉄などから阪急の西口または北急の中央口への乗車券には、乗車駅から会場までの路線図が描かれ、 赤色の区間を経由してご乗車くださいと書かれていました(経由しない方の線も黒い線で描かれています)。
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[36] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/13(Sun) 12:13 No.149 | |
>>34
1500系の台車は阪急2100系2159以降のミンデン台車(FS345,45)は平井車庫にミンデン台車組立治具がなかったので2000系のアルストム台車(FS333,33)と振替て能勢電へ移籍しています。 エコノミカル台車の2156x4,2158x2は1010系のアルストム台車(FS311)と交換して移籍していますが、今はFS333に再交換されています。
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[37] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/13(Sun) 19:21 No.150 | |
1100系T車の一部はFS33をはいていました。 1162 1163 1164 1165 1190〜1195 だったと記憶しています。 間違っていたらご指摘ください。
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[38] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/13(Sun) 22:42 No.151 | |
1162〜1165は元々FS324Aであったが1140形増備車に譲りFS33に振替(1960年製造で2000系が新造されていたため)。 1190形は1961年製造なので当初からFS33を履いています。 1010系の一部のTc車や1050形にもFS33使用の車がありました。
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[39] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/14(Mon) 10:37 No.153 | |
>>38 ありがとうございます。 そのようないきさつがあったのですね。初めて知りました。
よく考えるとM車がアルストム台車で相棒のT車がミンデン台車 だったのですね。 編成内では2100系や2300系で多く混在していましたが。
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[40] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/14(Mon) 22:54 No.154 | |
[41] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/15(Tue) 06:31 No.155 | |
>>40 ご指摘ありがとうございます。
FS324は1030、1108以降、FS333は2000、2100系ということから 先入観があり誤解してしまいます。
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[42] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/18(Fri) 10:24 No.156 | |
万博終了直後のこの時期、まだぎりぎりの状態のようで、 9.19(土)に2086(2)が箕面線で走っています。 8月にも2083(2)が「箕」をしたのは既出のとおりです。
また、7連の1100F 1112Fは頻繁に急行運用についています。 8連の編成は雲花までの限定運用だったので、急行はしていません。
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[43] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/21(Mon) 08:58 No.157 | |
仕事やら用事やらでなかなか書けませんでした。 時々番号を名乗らないと誰が誰だか分かりませんねw
>>36 2000系のアルストム台車は2011を除く昭和35・36年製の車両23両だと思います。 2156〜2161Fまでの2100系(能勢1500系)12両の台車は、最終的には2000系列の台車に変更となったのですね。
2159〜2161Fまでのミンデンは6両なので、2000系はこの後も17両がアルストムを履き続けていることになる かと思いますが、能勢電に行かずに廃車になった他の2000系や2071系、2800系の発生品を使って移籍までには 全てをミンデン化したのですかね。
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[44] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/21(Mon) 09:10 No.158 | |
元2030の1585はミンデンからアルストムに、 元2153の2代目2055はアルストムからミンデンに変更されているかと思います。 元2155の2台目2059は最後までアルストムでした。
あと5230F内の2091と2052は晩年、本来履くべき台車が入れ替わっていたように思います。
1585のミンデンは初代2050からの発生品なのでしょうか。
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[45] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/21(Mon) 10:18 No.159 | |
旧型車スレッド5の>>279さんによると昭和35・36年生まれの 1000系列は下記の通りになります。
1960(昭35)8月1144〜1148、12月1053〜1056、1355〜1357 1961(昭36)10月1190〜1195、1358
このうち35年12月以降の車両は2050や2301よりも後に生まれていることになります。 1144〜1148の5両はそれよりも前に生まれていますが、1162〜1165の4両向けのFS33と 同時期に作られたということでしょうか。
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[46] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/22(Tue) 00:26 No.160 | |
鉄道ピクトリアルに連載された「住友金属の台車」によると 製番H2175-1 1960-5 FS333 12台(6両分)神戸 H2175-2 1960-5 FS33 12台(6両分)神戸 H2175-3 1960-5 FS33 12台(6両分)宝塚 H2175-4 1960-5 FS33 6台(3両分)神戸 H2747-1 1960-8 FS333 4台(2両分)京都 H2747-2 1960-8 FS33 4台(2両分)京都 H2882 1962-3 FS333 2台(1両分)予備 H2873-1 1961-10 FS333 4台(2両分)京都 H2873-2 1961-10 FS33 6台(3両分)京都 H2874-1 1961-10 FS333 12台(6両分)神戸 H2874-2 1961-10 FS33 12台(6両分)神戸 H2877-1 1961-12 FS333 12台(6両分)宝塚 H2877-2 1961-12 FS33 12台(6両分)宝塚 H2880 1961-6 FS33 12台(6両分)宝塚 とあるのでH2175-3のどれかが1162〜1165に装着されたことになります。H2880は1190〜1195でしょうね。 予備台車は2011の試作ミンデンFS344試験終了時に使用したのではないでしょうか?FS344はその後2017が履いています。 H2873-2で1両分多いのは1351用だと思います。
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[47] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/22(Tue) 08:16 No.161 | |
>>46 細かい情報までどうも有り難うございます。 >>45に追加ですが、昭和35年9月には1600系の1606-1656も製造されております。 1600系の新造時の台車はゲルリッツとアルストムのみですね。
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[48] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/22(Tue) 14:18 No.162 | |
1162〜1165の4両分、1140増備車5両で1両分不足するので調べてみると 鉄ピク1978年増刊阪急特集(通刊348号)に情報がありました。 1029(FS324で竣工)→FS33(1140形に譲る)→FS311(1052と振替)となっていました。 これで1050形は1050,1051(FS324) 1052〜1055(FS33) 1056(KS62B)となっています。
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[49] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/22(Tue) 15:22 No.163 | |
子どものころ、 1141-1191+1112-1162+1113-1163 1143-1193+1114-1164+1115-1165 のTc車がFS33で不思議でした。 1162〜1165がFS324をはいていた記憶はありません。
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[50] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/22(Tue) 20:25 No.164 | |
1140形増備車5両にFS333が使用されなかったのは、増結用でMG、CPも配置する必要があり寸法の大きい両抱ブレーキの台車では 床下ギ装が困難だったためではないかな?いまさらFS324Aを製作もないだろうということで1150形のFS324Aに着目したということか。
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[51] | 投稿者:名無し 投稿日:2015/09/26(Sat) 12:40 No.167 | |
>>50 当時1140形は「単行可能車」というふれこみでした。 昇圧直前は毎日のように編成替えがあり、いろいろな パターンを試しているようでした。
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